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人生において負け続ける

麻雀をするとよく分かるのだが、この世にはツキというものがある。ツキは人々の間をランダムに移動してゆく。ある人にはツキが長い期間とどまり、別な人には短期間しかとどまらないと言った具合に、ツキが一人にとどまる期間もまちまちである。
ツキが無い時には、セオリーに従った最善手を打ち続けても、勝負に勝つことはできない。逆にツキがある時には、セオリーを無視した悪手を連発しても、勝負に勝ってしまう。
長時間のゲームをしていると、その間、周期的に自分にツキが来たり、自分からツキが離れたりする。ゲームに強い人は、今自分にツキがあるか、それとも無いかを動物的感覚で鋭敏に嗅ぎ分ける。そして強者は、ツキが無い時に、極めて冷静であり、自制的に振舞う。強者は、ツキが無い時に、大きな勝負手を打つことはせず、なるべくゲームへの参加度合いを低くする方向で行動し、自分へのダメージを最小限にとどめようとする。強者は、いつかは必ず自分にツキが回ってくることをよく知っている。そして強者は、実際に自分にツキが回ってくるのを静かにただただじっと待つ。
逆にゲームに弱い人は、負けがこむと頭に血が上り、大きな勝負手しか頭に浮かばなくなり、実際にそれを打ち、決定的なダメージを喰らってしまう。負けがこむということは今自分にツキが無いということを意味しているのだが、弱者にはそれが分からない。
人生において負け続けている人は、今自分にツキが無いということをまず知ろう。ツキが無い時には何をやってもうまくゆかないので、大きな勝負手を打つことはせず、なるべく何も勝負しないでいよう。いつかは必ず自分にツキが回ってくることを知ろう。そして、自分にツキが回ってくるのを静かにただただじっと待とう。ツキに関する感覚を磨いて鋭敏にしておこう。そして、自分にツキが回って来た時には、そのチャンスを逃さず、勝負に打って出よう。

人生に逆転勝利するための条件

日本プロボクシング史上最も偉大なボクサーは、輪島功一である。彼は、タイトルマッチで負けて、2度世界王座から陥落したが、その後タイトルマッチに勝って、2度世界王座に返り咲いた。輪島功一は、敗北から2度復活した。敗れた後復活できるかどうかにおいて、スポーツ選手はその真価が問われるのであり、敗れた後復活する時にこそスポーツ選手は最も光輝くのである。
日本プロ野球史上最高の選手である長嶋茂雄にしてもそうだ。彼は公式戦デビューで、金田正一に4打席連続三振を喰らって敗北した。この敗北からの復活が彼のプロ野球人生そのものであった、と言ってもいい。そしてこの敗北からの復活が、彼にミスタープロ野球という称号を与えた。王貞治にしてもそうだ。彼は投手としてプロ野球界に入ったが、間も無く敗北した。この敗北の後、もの凄い努力のすえ彼は打者として復活した。そしてこの敗北からの復活が、彼を不世出のホームランバッターにした。
人生において連戦連敗を続けているあなたは、心がめげてしまっていることでしょう。体もめげてしまっていることでしょう。そんなあなたが人生における逆転勝利を狙うには、まず勝利の定義を自分に対してなるべく明確にしておくべきでしょう。例えば、金持ちになる、良い人と結婚する、23区内に一戸建て住宅を持つ、といったことがそのような勝利の定義になり得ます。
定義した勝利に向けて努力しなさい、とは言いません。定義した勝利に向けて勉強しなさい、とも言いません。一番重要なことは、逆転勝利が起こる瞬間まで何とか生き続ける、ということです。そのためには、自分の心の99パーセントは敗北に汚染されても仕方がないのですが、自分の心の残り1パーセントで敗北から隔絶され得る自分の世界を事前に構築しておくことです。つまり、自分の心を事前に2つに分けておき、その一方のみで敗北を受け止め、そして精神的に敗北を処理し、他方で敗北とは無関係の自分の世界を構築しておくことです。さらに言えば、事前にどんなに狭くても構わないから自分の心の一部分を、敗北から一切影響を受けないものにしておくことです。
敗北から影響を受けない自分の世界を構築するとは、具体的には、お気に入りの趣味を持つこと、恋人を持つこと、セックスフレンドを持つことなどに対応します。敗北によるパンチを喰らった時に、構築していた自分の世界があなたを救ってくれます。つまり、敗北によるパンチを喰らった時に、趣味の世界や、恋人との世界や、セックスフレンドとの世界に逃げ込めば、とりあえずあなたは解放され、生き続けることができます。そうしたことの繰り返しで、あなたは逆転勝利が起こる瞬間まで何とか生き続けることができます。生き続けているうちに、買っていた宝くじが当たるという瞬間が訪れ、あなたは逆転勝利するかもしれません。

思い出作り

Aさんは、妻と3人の子供と暮らしている。子供達は、男男女の順で、小学生と幼稚園児。ある日、妻の具合が悪いので、Aさんは妻を病院に連れて行った。妻は深刻な病に侵されていた。病院の先生の話や医学本からの情報を総合すると、急に死んでしまうことはないようだが、妻の余命はあと5年から10年位らしい。Aさんは、小学生と幼稚園児である子供達のことを思った。
Aさんが自分の母についてまず思い出すのは、いつもいつも内職をしている母の背中だった。そして、小学生の時に友達との遊びに夢中になり、つい帰りが遅くなって母にこっぴどく叱られたことや、学校でのテストの点数が悪くてひどく怒られたことも、思い出した。その他もろもろ、いろいろなことを思い出した。しかし、母との間で楽しいこともあったはずなのに、なぜかそれは思い出せなかった。
Aさんは、子供達の脳に、生き生きしている母親の姿、喜んでいる母親の姿、楽しそうな母親の姿、いろいろな表情の母親のそれぞれの姿、それに母親との間での数々の楽しかったことの記憶など、母親に関する溢れんばかりの記憶を残してあげたいと考えた。そうしたら、母親が死んだ後も、子供達はその記憶をより所にして何とか生き抜いてゆくことができる、とAさんは信じた。
Aさんは、子供達に母親の病気が深刻であることを伏せていた。子供達が春休み、夏休み、冬休みに入るたびに、Aさんは妻と子供達と一緒に旅行に出かけた。子供達の母親への思い出作りのために。
小学生と幼稚園児の子供達は旅行を楽しんでいた。列車の中では、子供達でカードゲームをしたり、子供達同士でふざけあったりしていた。宿泊先や観光地でも、子供達ははしゃいでいた。楽しんでいる子供達を見て、妻も旅行を楽しんでいた。Aさんは、旅行に満足していた。
何回目かの旅行の時だった。中学生になっていた次男が、宿泊先で、突然「何で連れてくんだよ。ふざけんなよ。」とAさんに食って掛かった。Aさんは、驚いた。驚きの半分は、次男がこんなにも成長していたのか、という気がしたからだ。驚きの残り半分は、説明できないAさんの気持ちからだった。Aさんは、次男に怒る気にはならなかった。反論する気にもならなかった。
それはそうだろう。中学生だった頃の自分の精神状態を考えてみて、Aさんは半分納得した。Aさんが育った家庭は貧しく、家族旅行に出かけることはなかったが、仮に中学生だった自分に家族旅行の機会があったとしても、間違いなくそれを断っていた、とAさんは思ったからだ。
きっと、次男がもっと成長して、結婚して、家庭を作って、子供ができて、そして次男がいい年になって、自分の母親のことを回想する時、次男は自分が育った家庭での旅行の意味を少し理解するのかもしれない、とAさんは思った。それでいいのだ、とAさんは思った。

人生は辛いことや悪いことの連続

人が生きていると、辛いことや悪いことが次々と起こる。楽しいことや良いことはほとんど起きない。割合としては、10のうち9が辛いことや悪いことで、1が楽しいことや良いこと。いやもっと厳しくて、100のうち99が辛いことや悪いことで、わずか1が楽しいことや良いこと。そんな程度。
こんな状況の中でも、人は何とか生きて行く。ある意味、人はたくましい。さてさてそうは言っても、人には辛さが溜りに溜まって、八方塞の感覚に襲われ、どうしようもなくなる時がある。
朝鮮戦争で北側の捕虜になった米兵がいた。彼は、長い間、監獄に閉じ込められた。彼は収監されて間もなく、将棋のようなゲームを考え出した。そして、監獄の壁にゲームの盤を描いた。彼は壁に向かって、ゲームの対戦相手を交互に演じ、一人二役でゲームを行った。彼は、来る日も来る日も壁に向かってゲームに没頭し、ゲームにおける腕を上げていった。彼は、獄中生活の目標を、ゲームにおける腕を上げることに設定した。そして彼は、来る日も来る日も壁に向かってゲームに没頭し、ゲームにおける腕を上げることに集中した。
長い間の獄中生活を経て、彼は解放され、米国に戻った。米国に戻った彼は、監獄生活について、辛いことが沢山あったが、楽しいこともあった、と述べた。楽しいこととは、ゲームのことであった。
辛さが溜りに溜まって、八方塞の感覚に襲われ、どうしようもなくなっているあなたは、上記例のゲームに相当するものを見つけ、あなたの人生の一部分で密かにそれに嵌るのがよいかもしれない。ゲームに相当するものとは、セックス、異性交遊、あるいは趣味かもしれない。

いやな人との遭遇があなたを飛躍させる

A社に勤めるCさんの上司は、Dさんである。Dさんは、A社の役員であり、かつA社の関連会社であるB社のオーナーでもある。Dさんは、A社ではQ部の長を任されている。A社Q部では、Cさんを始め20人の社員がDさんの下で働いている。A社とB社は、同じビルの同じフロアに、隣同士の位置関係で入っている。
長であるDさんは人集めは上手だが、仕事の実務は得意ではない。Dさんは根っからの遊び人で、A社の役員という立場を利用して、週5日のうち2日あるいは3日A社を空けてゴルフなどの遊びに興じていた。DさんがA社に不在の間、Dさんの判をもらわなければならない仕事は停滞した。このため、A社Q部で、長であるDさんへの不満が高まっていった。おまけに、Dさんは、A社Q部のFAX機を使って、ゴルフコンペなどの遊びの案内を送受していた。これがきっかけとなって、A社Q部において、Dさんへの不満が爆発してしまった。丁度その頃、A社は引越をすることになっていて、それを機会にDさんはA社Q部の長を外され、自分のB社に引っ込むことになった。Dさんは引き続きA社の役員ではあったが、引越したA社にDさんの席はなかった。
Cさんは、仕事上真面目な人であり、仕事をさぼって遊びに興じるDさんを許せなかった。Cさんは、Dさんのことをいやな人だと思っていた。
Dさんに代わってA社Q部の長に就いたのは、Q部社員の中で最も仕事ができるCさんだった。長に就いたCさんは、バリバリ働き、部下をぐいぐい引っ張り、Q部の業績をぐんぐん伸ばしていった。Cさんは、自分の仕事の質をさらに高め、そして仕事の道を究め、同時にQ部の長でなければできない貴重な仕事体験を積み重ねていった。最早A社において、仕事に関してCさんの右にでるものはいなくなっていた。
Q部の業績アップとともに、A社も成長して、A社の社員数も増えていった。このため、借りている事務所スペースが手狭となり、A社は大きなところに引越すことになった。DさんはA社の役員としての力を利用して、A社の引越先の一部に、B社を間借りさせた。そして、強引にDさんはA社Q部に自分の席を作らせた。そしてDさんはA社Q部に顔を出すようになり、Q部の社員の仕事にあれこれ口を挟むようになっていった。このため、Q部の雰囲気が乱され、Q部の仕事の質も不安定になっていった。Cさんは、Q部の仕事に干渉するな、とDさんに何度も言った。その都度、Dさんは「私はA社の役員だから、A社の仕事の質を改善するために、いろいろ動いているのだ。当然のことをしているだけだ」と答えた。Cさんは、論理性と合理性のある人である。間もなくCさんは、このような意味のない無いことを言う人にまともなことを言っても無駄だし、そのような人を相手にすることも無駄である、と悟った。Cさんは、Dさんのことを、ある意味壊れており、本当にいやな人だ、と思った。
一念発起してCさんはA社を辞め、新会社を設立した。Cさんの持っている仕事力により、やがて新会社は軌道に乗り、成長を始めた。Cさんは、自分の会社で思う存分働き、自分のやりたいことをやった。Cさんは、充実感に満たされた。
Cさんは、しみじみ思った。自分が仕事で道を究められたのは、当時怠慢上司だったいやなDさんに遭遇したのがきっかけだった。また、自分の会社を作り、充実した自分が今あるのも、仕事に干渉してきたいやなDさんに遭遇したのがきっかけだった。Cさんは、いやなDさんとの2度の遭遇がいずれも結果的に飛躍する方向に自分の人生を導いてくれた、と思う。Cさんは、もしかしたらDさんは悪人のふりをして、自分を応援してくれる役を天から与えられた人なのかな、とも思う。
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