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冤罪装置

数々の冤罪事件を見てみると、検察と裁判所が冤罪製造装置として機能する構造を持っていることが分かる。もっとも恐ろしいのは、そのことを検察官と裁判官がまったく自覚していないことだ。
一つ一つの冤罪事件に関しては、人間誰しもミスジャッジはある、というレベルではない、裁判官が無罪につながるごく単純な矛盾や疑問点を見過ごしてしまったことは。民間での社会経験がまったくない裁判官が、これまた民間での社会経験がまったくない検察官が提起した事件のストーリーを、条件反射的に追認する。
誰でも10年ぐらい民間で社会経験を積むと、世の中にはいろいろな人がいて、そんな人達がいろいろなことをし、それぞれの人がそれぞれ複雑な背景を抱えている、ということを理解する。
そのように民間で社会経験を積んだ人が、仮に検察官が提起した事件のストーリーを聞いたとすると、「ほんまかいな?」と疑う姿勢をとるはずだ。このごく単純に疑う姿勢が裁判官にあったならば、食い止められた冤罪事件もあったはずだ。
検察と裁判所が冤罪製造装置として機能する構造を持っていることを検察官と裁判官が自覚していないいじょう、判決の信頼性を上げることについて、内部から検察と裁判所を改革することは不可能だ。そうすると国会の出番なのだが、肝心の国会議員の多くが検察と裁判所に何の問題も感じていない。お先真っ暗だ。
せめて、検察官と裁判官になるには、民間で社会経験を10年以上積んだことをその条件にすべきだ。
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