スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大阪ダブル選挙の結果と公務員対非公務員の対立軸

近年、日本において非公務員の集合無意識世界で公務員(地方議員と国会議員を含む)を敵とみなす感情が成長し続けている。この感情の大きさや広がりがある閾値を越えると、この感情は集合無意識世界から非公務員の集合意識世界へと飛び出す。
公務員を敵とみなす感情が非公務員の集合無意識世界に留まっている限りは、公務員対非公務員の対立軸は日本社会でふわふわした弱弱しい姿をしている。しかし、この感情が集合無意識世界から非公務員の集合意識世界へと飛び出すと、公務員対非公務員の対立軸が日本社会ではっきりと姿を現し、この対立軸により日本社会が明確な形で2分されるようになる。
これまで、公務員側はマスコミを動員して、日本社会には公務員対非公務員の対立軸が存在しないかのような印象を国民に植え付けるべく、世論を操作してきた。例えばある公務員が不祥事を起こした時に、マスコミに登場するコメンテータは必ず決まり切って「ほとんどの公務員の方は真面目に仕事をしているんですが・・・」という台詞を自らの発言の前置きとして述べるのである。
公務員と非公務員との間には2倍以上の年収格差が存在する。退職金や年金を含めれば、両者間の格差はさらに広がる。地方議員、国会議員、および官僚は救いようもないほど無能である。ここにきてこれらの事実が、国民に知られるようになってきた。
公務員対非公務員の対立軸が日本社会ではっきりと姿を現し、この対立軸により日本社会が明確な形で2分される日は、もうすぐそこに迫っている。次回の総選挙は、公務員対非公務員の対立軸を中心にして、2大勢力が争うことになる。
民主党も自民党も公務員側なので、次回の総選挙までには非公務員派の大政党が出現する。大阪ダブル選挙の結果が、そのことを告げている。
スポンサーサイト

国の借金1000兆円は、公務員人件費の過払い分だ

数兆円におよぶ年金の過払いが話題になっている。しかし、遥かに巨額な国費の過払いがある。
日本における実質的な公務員人件費は、年間60兆円である。そもそも公務員の平均年収は、零細企業を含めた全企業の全社員および全自営業者の平均年収と同じでなければならない。人事院という手前勝手な組織が公務員年収を決めていいはずがない。
実際のところ公務員の平均年収は、零細企業を含めた全企業の全社員および全自営業者の平均年収の3倍である。したがって、正しい公務員人件費は、年間20兆円である。すなわち、年間40兆円も大切な国のお金から公務員人件費に過払いをしている。
過去20年間、この調子だったから、40兆円の20倍、つまり800兆円が国費として公務員人件費に過払いされたことになる。この800兆円は、国の借金1000兆円と額がおおよそ符号する。要するに、国の借金1000兆円は、公務員人件費の過払い分だ。

幸せは天から降ってくる

幸せは天から降ってくる、と何となく思っている女は結構いる。私と赤い糸で結ばれた王子様がやってきて、私と結婚してくれる、と思っている未婚の女はこの典型だ。
このような女に共通する特徴は、自分は選ばれた特別な人間であるという思いが意識のどこかにあり、また何事においても努力をほとんどしないことだ。さらに言えば、自分に非があって問題が起こった時に、無意識のうちに自分の非を他人に転嫁して、その他人を非難することだ。また、世間で言うところの成功者をひどく妬んでいることだ。
他人から見て幸せそうな人でもいろいろと悩みを抱えていることが、上記のような女にはまったく想像できない。世間で言うところの成功者がそれ相当の努力をして成功者になったことが、上記のような女の視界には入らない。
毎日毎日人生を一生懸命生きることや、こつこつ努力を積み重ねることが、自分の幸せにつながる道であり、世間で言うところの成功者になるための道である。
幸せは天から降ってはこない。幸せは天から降ってくる、と何となく思っている女は、ふと気が付くと、50歳や60歳の負け組み女になっている自分をそこに発見する。

人生にもどかしさを感じる

30歳過ぎの会社員A子は、ここ数年自分の人生にもどかしさを感じ続けている。今の仕事は自分がやるべき仕事ではなく、私には才能があり、それを活かして自分がやるべき本来の仕事があるはずなのに、その仕事が未だ見つかっていない、とA子は焦り気味に言う。
自分がやるべき本来の仕事に就いたら、私はどんなに厳しいことでも耐えられるし、それをやり通せる自信もあるし、誰にも負けない自信もある、とA子は元気に言う。
占い師に自分がやるべき本来の仕事を教えてほしいし、占い師に自分の未来を見てもらって、自分がやるべき本来の仕事に就いているかどうかを教えてもらいたい、と自嘲気味に言う。
占い師があなたは未来で自分がやるべき本来の仕事に就いていないと言ったら、人生から降りるのか、とA子に突っ込みを入れると、A子は何も答えない。占い師があなたは未来で幸せになるよと言ったら人生を続け、占い師があなたは未来で不幸になるよと言ったら人生から降りるのか、とA子にさらに突っ込みを入れても、A子は何も答えない。
そもそもA子は今の仕事をちゃらんぽらんにやっている。自分には本来やるべき別な仕事があるという思いや、自分がやるべき本来の仕事だったら自分は絶対に頑張れるという思いは、今の仕事をちゃらんぽらんにやっていることへの自分に対する無意識的な言い訳に過ぎない。今の仕事に頑張れない人が、未来の仕事に頑張れるはずがない。
今を一生懸命に生きる、仕事を持っている人であれば、今の仕事を一生懸命にする、それがいずれ自分の人生に意味を与えてくれし、知らないうちに人生についてのもどかしさを消し去ってくれる。

女の頭の程度を判別する方法

彼女と付き合っているうちに男は彼女の頭の程度を何となく分かってくるが、彼女がバカか否かを具体的かつ正確に判別するには、あなたが25歳以降の若者や青年であれば、以下のような話を彼女にして、それに対する彼女の反応を見るとよい。少々込み入った話ではあるが。
「俺の中でオフクロとオヤジに対する評価は、俺が24歳の時に、180度変わった。24歳以前は、オフクロの俺への吹き込みの影響で、俺は、しっかり者で賢いオフクロが駄目オヤジを一生懸命支えているというふうに思っていて、オフクロは素晴らしい女であり、オヤジは下らん男であると評価していた。俺が24歳の時に俺は自分の人生にひどく悩んでいて、ひょんなきっかけでオヤジと語り合った。オヤジは自分の体験や人生を語った。それは初めて聞く内容だった。それによれば、オヤジが24歳の時にはその当時不治の病とされた結核に侵されていて、ほとんど床での生活を強いられ、オヤジは人生に絶望していた。奇跡的にオヤジが30歳の時に結核が鎮まり、オヤジは普通の人間として何とか生活できるようになった。間もなくオヤジはオフクロとは別な女と結婚し、一人の子供を授かった。しかし、その子供は、幼くして病死してしまった。そして、後を追うように女房も病死してしまった。何年かの後、オヤジはオフクロに出会い、オフクロと結婚した。オヤジが語った内容について、俺はじっくり考えた。俺にはオヤジを乗り越えることは絶対にできない、と思った。俺は若い時に何年も床に臥すことに耐えられないだろうし、縁があって結婚した女と、その女との間に生まれた子供の両方を早くして失うことにも耐えられないだろう。オヤジはそういった試練を乗り越えて今も生き続けている。俺は気付いた。オヤジは偉大な男であり、オフクロはその辺にいくらでもいる普通の女だと」
この話を聞いた彼女が「そんなの大した事じゃないわよ。奥さんと子供さんの両方が死んじゃった男なんて、世の中にいっぱいいるわよ。どうってことないわよ」と言ったら、彼女はバカである。その話が理解できない上に、想像力が欠落している。信じられないだろうが、女達の内の5割はこのようなバカである。したがって、上記のような話を彼女にして、それに対する彼女の反応を見ることは、彼女がバカか否かを判別するリトマス試験紙なのである。

「家政婦のミタ」と松嶋菜々子

先日放送された「家政婦のミタ」の視聴率が、速報で23.4%とのこと。テレビ離れの今の時代にあって、この数値は凄い。
超美人の松嶋菜々子が、最初から最後まで1つの冷酷な無表情顔のみで、全編ギャクの中でターミネータ風の主役家政婦ミタを演じ通す。全編のギャクと松嶋菜々子が見せ続けるオンリーワンの冷酷な無表情顔の対比は見事と言う外なく、この対比がドラマにとても深い奥行きを与えている。
この1つの無表情顔だけでドラマ全編を演じることが様になり、それが許されるのは松嶋菜々子だけだろう。他の女優にそれは無理だ。
このドラマの脚本家は、仏道を身に付けている。先日放送された話では、長女が、自殺する代わりに(自殺することはとてもできそうもないので)、自分を殺してくれるようミタさんに頼んだ。それを受けてミタさんは刃物を持って、長女を追い掛け回し、何度も長女に切りかかる。そのたびに長女は悲鳴を上げながら、かろうじて身をかわす。
このシーンは、自殺しようとする人にも、生き続けようとするたくましい別な自分がいることを表現している。自殺しようとする人に、ちょっとだけ立ち止まって、その人の中にも必ずいる生き続けようとするたくましい別な自分を見つけてほしい、というメッセージでもある。これは、仏道を身に付けている人ならではの発想。
また別なシーンで、長女が、真っ白なシーツの上で寝られることだけでも、幸せなことなんだ、という思いに至る。これも、仏道を身に付けている人ならではの発想。
仏道は、人の魂の奥深い底の部分につながっている。人の魂の奥深い底の部分は、人に依らず同じ構造になっている。仏道を通して人々の魂の奥深い底の部分に風を送ると、大勢の人達が振り向いてくれる。

グローバリゼーションとウイン・ウインの関係

グローバリゼーションにより複数の国の間でウイン・ウインの関係ができるという話があるが、これはグローバリゼーションの負の面を無視した欠陥論だ。
2国間の関係で見てみよう。毎年A国は50億ドル分をB国に輸出し、40億ドル分をB国から輸入しているとする。この場合、B国から見ると、40億ドル分をA国に輸出し、50億ドル分をA国から輸入していることになる。
両国にとってベースの40億ドル分がウイン・ウインの関係に対応する。A国の黒字10億ドル、B国から見た赤字10億ドル、すなわち輸出入不均衡の10億ドルもグローバリゼーションにより生じたものである。両国の間ではこのような貿易不均衡は必ず存在してしまう。それは、生じる貿易不均衡が根本のところでは、遊ぶ時間も惜しんで働くA国の国民性と、働くべき時間も遊んでしまうB国の国民性との差といったような、国民性の差に起因するからだ。
両国の国民性は定常的なものであり、ほとんど変化しない。したがって、A国の黒字は10億ドルづつ毎年積み上がり、B国の赤字も10億ドルづつ毎年積み上がってゆく。そうするとB国はA国から物を輸入するための金が足りなくなるので、国債などの債券を発行して、これをA国に買ってもらって、金を調達するようになる。要するに、B国はA国に借金をするのである。両国の国民性は定常的なものであり、ほとんど変化しないので、両国間の貿易不均衡は変化なく存在し続け、したがってB国の債券発行総額、すなわちB国のA国に対する借金の総額が10億ドルづつ毎年積み上がってゆく。
両国での為替レートが変動して貿易不均衡を是正しようとするが、しかし為替レート変動による貿易不均衡是正の実効性はかなり限定的である。したがって、B国のA国に対する借金の総額は、毎年確実に積み上がってゆく。
B国の借金総額がある限界値に達すると、その借金をチャラにする方向での相転移、すなわちカタストロフィーが起こる。要するに、B国がデフォルトする。A国は貿易や債券の保有で儲けていたつもりが、B国がデフォルトした瞬間にA国の儲けは消えてしまうのである。
グローバリゼーションは上記相転移すなわちB国のデフォルトの素因を事実上内包しており、したがってグローバリゼーションが維持されていると、いつかは上記相転移すなわちB国のデフォルトが起こる。
上記相転移すなわちB国のデフォルトの発生直前の状況と同様の状況にあるのが、今のギリシャであり、イタリアであり、アメリカなのである。グローバリゼーションは、最終的には世界経済を破壊するのである。

マスコミによる世論操作と巨人内紛劇

ある組織が世論を操作するためのツールとしてマスコミが存在する、ということが人々の間で知られるようになってきた。
その組織にとって人々にあまり知られたくない問題が発生した場合に、その組織がとる常套手段は、人々にとり話題性のある別な事件を演出することである。そうやって、人々の関心を知られたくない問題から演出された事件へとそらすのである。マスコミからの発信情報に演出された事件を大々的に載せ、知られたくない問題に関する人々への伝達情報量を減らすのである。
巨人内紛劇は、まさにその演出された事件の臭いがする。今回の場合、知られたくない問題とは、TPP問題であろう。TPP参加を推進している人達の顔を見ると、「説明責任」という言葉を好んで使ってきた連中である。しかし、今回彼らはTPPについて「説明責任」をまったく果たしていない。TPP参加反対派が問うているTPPの日本への悪影響について、彼らは答えていない、というか答えられないでいる。彼らに言う。ちゃんと大好きな「説明責任」を果たせ。

グローバリゼーションの行き着く先

A国は魚が腐るほど取れる。B国は穀物が腐るほど取れる。A国とB国を含むグローバリゼーションの枠組みは、両国を豊かにする。A国は余った魚をB国に輸出し、B国は余った穀物をA国に輸出する。A国は余って捨てていた魚を富に換えることができる。B国も余って捨てていた穀物を富に換えることができる。また両国の国民は、魚と穀物の両方を食べられる。
他国に売る物が無いC国がグローバリゼーションの枠組みに入ると、どうなるだろう。C国は人を他国に売るようになる。すなわちC国の人々は、他国に出稼ぎに行くようになる。これはどこかで見た光景。そう日本でその昔よくあった、農村から都会への出稼ぎ。
さらに事態が進行すると、C国はどうなるだろう。C国から人々が出てゆき、C国の過疎化が進む。最後に、C国から人々がいなくなる。そう今日本で起きていること。棄村や廃村。
要するにグローバリゼーションは、他国に売る物が有る国にとっては美味しいのであるが、他国に売る物が無い国にとっては毒薬なのである。グローバリゼーションを地球規模で推し進めるのであれば、他国に売る物が無い国を救う制度を確立することが必須である。現状は、このような救済制度は用意されていないのに等しい。事実上、弱肉強食の世界となっている。
日本が地球規模でのグローバリゼーションの推進を旗印にするならば、日本は他国に売る物が無い国を救う現実的な制度を考案し、その確立を世界の国々に訴え、そして自腹を切りながら世界の国々と共にそれを実現していかなければならない。少なくとも、日本がグローバリゼーションで得た富を日本が自国のためだけに使ったり、すべてを溜め込んだりすることは許されない。この点では、グローバリゼーションは、他国に売る物が有る国にとっても厳しいのである。

グローバリゼーションとローカリゼーション(鎖国)

グローバリゼーションにより貧富の差が拡大し、国民が少数の金持ちと多数の貧乏人とに2極化する、という説がある。またローカリゼーション(鎖国)によりこのような2極化を防ぐことが出来る、という説もある。これらの説は、間違いではないが、本質的な点を見逃している。
仮に日本がグローバリゼーション体制からローカリゼーション(鎖国)体制に転換したとしても、貧富の差が拡大し、国民が少数の金持ちと多数の貧乏人とに2極化する傾向は存在し続ける。
グローバリゼーション体制であろうとローカリゼーション(鎖国)体制であろうと、時間の経過とともに、工業技術や農業技術は不可逆的に進歩してゆく。この技術的進歩は、生産性の向上をもたらすのであり、より少ない人員でより高品質のより安価な工業製品や農産物をより大量に造ることを可能にする。ローカリゼーション(鎖国)体制であっても、市場はより高品質のより安価な工業製品や農産物に支配される。したがって、市場を支配したより少数の生産者にのみ、富が集まる。すなわち日本がローカリゼーション(鎖国)体制を敷いたとしても、時間の経過とともに、貧富の差が拡大し、同時に金持ちの数的割合が減少し、貧乏人の数的割合が増加してゆくのである。
このような背景を考えると、政治の主たる役目は、いかに金持ちの富を貧乏人のために使って、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れるようにして、国家を安定させるかにある、ということが見えてくる。消費税は貧乏人も負担する。したがって消費税率アップは、金持ちの富を貧乏人のために使う、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れるようにするという趣旨に矛盾する。政治は、金持ちの富を貧乏人のために有効に使う構造、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れる構造となるように国のシステムを設計し直すことに、力を注ぐべきだ。

在宅介護の大変さと価値観の押し付け

A子はもうすぐ60歳。2歳年上の夫B男が20年前に倒れた。時間の経過とともに進行してゆく不治の病と診断されたが、現在の病状であれば手術により日常生活が可能なレベルまで回復可能とのこと。夫は手術を受けた。医者の見立て通り、退院後夫は健常者というわけにはゆかないが、仕事を続けることができた。その後は3年に1度手術を受け、夫は何とか仕事を続けることができていた。ところが今から5年前、病気の進行による運動機能の低下により、夫は道で転んで脚の骨を折ってしまった。骨をボルトで繋ぐ手術を受け、脚は回復したはずなのだが、それを機に夫は介護を要する体になってしまった。
在宅介護が始まった。A子は仕事を持っていたので、ケアマネージャーを介して訪問ヘルパーの力を借りた。A子は朝起きると、洗濯機を回し、夫のトイレ誘導とオムツ交換を行う。トイレ誘導は、ベッドとトイレの往復に車椅子を使う。そして、夫と自分の朝食を作り、夫が朝食を取るのをサポートしながら自分の朝食を済ませる。その後、洗濯物を干し、仕事のために家を出る。午前中にヘルパーが来て、夫の下の世話をしてくれる。お昼もヘルパーが来て、夫に食事をさせてくれるとともに、夫の下の世話をしてくれる。夕方もヘルパーが来て、夫の下の世話をしてくれる。A子は仕事からの帰りに買い物をし、自宅に着くと、夫のトイレ誘導とオムツ交換を行う。次に、洗濯物を取り込む。そして、夫と自分の夕食を作り、夫が夕食を取るのをサポートしながら自分の夕食を済ませる。寝る直前にも、夫のトイレ誘導とオムツ交換を行う。平日はこのスケジュールでA子は頑張った。日曜日は大変だ。ヘルパーが来ないのだ。朝起きてから夜寝るまで、ずーとA子が夫を介護しなければならない。
A子と夫との間に子供はいるが、もう成人している。A子は在宅介護を始めるにあたり、子供を介護に引き入れることはしない、と誓った。子供には子供の人生があるのだし、介護によってその人生が歪められてしまうことを避けたかったからだ。子供には自由な人生を歩んでほしい、と思ったからだ。
在宅介護の間も、1ヵ月に1度は夫を病院につれてゆかなければならない。A子は仕事を休み、夫を車椅子に乗せ、バスで病院まで往復する。介護タクシーを使えば、A子はずっと楽になるのだが、往復で1万円もかかってしまう。A子にそんな金銭的余裕はない。バスで往復すれば800円で済む。道で夫を乗せた車椅子を押している時に、ベビーカーを押している母親とすれ違うと、A子は悲しくなった。車椅子を押しても押しても、夫の病気は悪化してゆく一方で、よくなることはないのだ。ベビーカーの赤ちゃんは、そのうちベビーカーから降りて元気に歩くようになるのだ。
夫の病気は確実に進行していった。肉体的な運動機能も確実に低下していった。そして、いよいよ脳機能の低下も目立ち始め、ボケがひどくなっていった。とうとう夫は、喋ることもほとんどなくなっていった。通院も困難になってしまった。トイレ誘導も困難になってしまった。完全に寝たきりの状態になってしまった。食事を取ることも難しくなってしまった。ケアマネージャーに、もう在宅介護は無理だ、ヘルパーも責任を持てない状態だし、第一あなたが倒れてしまうよ、と暗に夫を入院させるようA子は忠告を受けた。夫が満足に食事が取れなくなったこと、またそれによって夫の体温が不安定に上下することに、A子は困り果てていた。A子は精も根も尽き果てていた。
A子は医者に相談した。医者に窮状を訴えた。医者にケアマネージャーからの忠告を伝達した。医者は了解し、入院の予約をとってくれた。
入院当日、A子は子供の力を借りた。タクシーを呼び、子供と二人で痩せ細った夫を抱きかかえながら運び、夫をタクシーの中へ押し込んだ。見かねたタクシーの運転手が手伝ってくれた。タクシーの中では、夫を真ん中にして子供と二人で両側から夫を支えた。病院に着くと、子供と二人で夫をタクシーから引きずり出し、何とか車椅子に乗せた。入院手続きを済ませた後、子供に付き添ってもらいながら、A子は車椅子を押して、病室のベッド脇まで夫を運んだ。後は病院の看護師がやってくれた。
ベッドに横になっている夫を見やりながら、A子は心の中で涙を流し、夫に最期の別れを告げた。もう夫は生きて自宅に帰ることはない。この日子供に手伝わせ、同伴させたのも、子供に父親との最期の別れの機会を与えるためでもあった。病院から帰ると、A子は夫の兄弟に、夫が入院したので顔を見せに行ってほしい、と連絡した。
A子は、人生に区切りを付けたいと強く願った。夫との最期の別れは、もう済ませた。もうA子は、病院には行きたくなかった。それでも、仕事が休みの土曜日に、消耗品の介護用品を届けに病院に行った。その際は、何の反応も無い夫の顔に手を差し伸べて、生きていることだけを確認した。A子は思った。ここまで何とか来れたのも仕事のお陰だと。仕事を持っていなければ、とうに身も心もパンクしていたはずだと。実際、仕事をしている間だけ、A子は介護から身も心も解放されていた。
A子の頭の右と左に、夫がA子に言った2つの台詞が張り付いている。一方は、夫の意識が割合しっかりしている頃の台詞で、「もし俺が元気になりお前より長生きするようだったら、俺はお前の下の世話をしてお前を見取ってやる」というものだ。他方は、夫がほとんど喋らなくなった時に、驚くほどはっきりした攻撃的な口調で言った台詞で、「お前は俺のことを人間扱いしているか?」というものだ。また、A子は夫の葬式のことを考え始めていた。夫の葬式のことは、重石のように、A子の心を沈ませていった。
ある土曜日、A子が介護用品を届けに病院に行くと、夫の兄弟(姉一行)も来ていた。初めて病院で夫の兄弟と出会った。夫の兄弟はA子に怒っている様子だった。夫の兄弟は、「看護師さんに訊いたら、あなた病院に殆ど来てないそうじゃないですか。私達はB男がとても心配でちょくちょく来ているのですよ。B男がこんな時にあなたがしっかりと付き添わないでどうするのよ。妻ならそうするのが当たり前でしょう。あなたからほっておかれるなんて、B男が不憫で不憫で・・・・・・可哀想」。A子は、入院する前はちゃんと介護をしていたんですよ、としか反論できなかった。A子は、夫の兄弟との間に意識の絶望的な段差があることを感じた。それ以上、言葉を発する気にはなれなかった。
さてさて、B男の兄弟の発言内容は、世間で言う常識的なもので、誰でもそう言われればそうかなと思うでしょう。A子の精神状態や行動も、A子を良く観察すれば、納得できるものである。どちらが正しいかという問題ではなく、どちらも正しいのである。正しいことのぶつかり合いは、世の中では沢山起こる。そんな世の中を少しでも丸くするには、次のような知恵が役に立つ。
事象が犯罪に絡むものでない限り、自分の価値観を他人に押し付けないこと。どんなにすばらしいと自分が思う価値観であっても、決して他人に押し付けてはいけない。他人の人生は、その人自身のものなのである。上の例で言えば、死期が近い夫が入院したら妻が病院にこまめに通い夫に付き添うべき、というのもあくまでもB男の兄弟の自分の価値観なのである。そう思わない人もいるし、そういう行動を取れない精神状態にある人もいる。そういう行動を取ってない人に向かって、そういう行動を取るべきだ、と言ってはいけない。B男の兄弟は、自分の夫がそういう状態で入院した時に、自分の価値観に従って、自分が病院にこまめに通い夫に付き添えばよいのである。自分の価値観は、自分の中だけに留めるべきなのである。このあたりのことを含めて人間や人生を理解している人の数は少ない。世の中、正しいことのぶつかり合いで、今日も波立っている。

TPPと知的財産権

TPPの話が盛り上がっている。その中で、先頃アメリカが先発明主義から先出願主義に転換したことを引き合いに出しながら、TPPの交渉において日本がアメリカの特許制度をさらに世界標準に近づけるべく積極的にリードしたらよい、というような意見があった。この意見は、世界各国の特許法とその運用をまったく知らないことに拠る。
日本における特許法とその運用は、一言で言えば、出鱈目。一方アメリカにおける特許法とその運用は、質の点でダントツの世界ナンバーワンである。世界各国の特許実務に係わる人であれば、誰でも承知していることである。
Aさんは、いままで世の中に存在していない画期的なアイデアを思い付いた。そして、そのアイデアの詳細を業務日誌に書き込んだ。Aさんは、嬉しさのあまり、飲み屋で友人にそのアイデアの話をした。その飲み屋で、Aさんの近くにたまたま居たAさんとは赤の他人のBさんの耳に、Aさんのアイデアの話が聞こえたきた。Bさんは、そのアイデアについて、これはいいと思い、翌日早速特許出願をした。
Aさんは、アイデアの製品化を考えると、特許出願をしておくべきと思い、それを実行した。しかし、Aさんが特許出願をしたのは、Bさんが特許出願をした一週間後であった。
日本の特許法はドイツのものをパクッたので、先出願主義である。つまり、同じ発明の複数の出願のうち、最初の出願にのみ特許が許されるのである。このため、特許が与えられるのはBさんであって、Aさんではない。Aさんは、Bさんが飲み屋でたまたま自分の話を聞いてしまい、自分の許可無しに特許出願をした、と思うはずもなく、またそのことを証明できるはずもない。おまけに、Aさんがアイデアを製品化して売り出した場合、Bさんに特許侵害として訴えられれば、AさんはBさんに特許使用料を払う羽目になるのである。
先発明主義とは、同じ発明の複数の出願のうち、最初にその発明を成した人の出願にのみ特許を許すというものである。上の例では、Aさんに特許が与えられるのである。ただし、Aさんはアイデアの詳細を記した業務日誌を証拠として提出し、自分がアイデアを成した日がBさんの特許出願の前であることを示す必要がある。このように先発明主義とは、最初に発明した人を特定して、その人にのみ特許を与える、というものである。
これに対して先出願主義は、審査する側にとっての都合を優先したものである。上の例で言えば、Aさんの特許出願の審査はとても簡単である。Aさんの特許出願の前に出願されたものや公知となったものを検索して、Aさんの特許出願の発明と同じものを探せばよいのである。すぐにBさんの特許出願が見つかるはずだ。見つけたら、Aさんに対して、あなたの特許出願の発明はあなたの特許出願よりも前のBさんの特許出願の発明と同じであるから、あなたの特許出願を拒絶する、と言えばよいのである。
そこへゆくと先発明主義で特許制度を運用する場合、審査する側の手間隙は大変なものである。アメリカ特許庁の審査部門は、同じ発明の複数の出願があった場合に、それらのうち最初にその発明を成した人の出願を特定するという複雑で難しい作業を、インターフェアランスと称して、延々とやり続けてきた。最初に発明した人にのみ特許を与える、という特許制度の基本理念を守るために。なぜ複雑で難しい作業かと言うと、複数の出願した側から提出される夥しい証拠類を精査し、その上で公平な判断を下さなければならないからだ。
上の例からも分かるように、先出願主義は審査する側が楽になるので、不正特許取得は大目に見ますよ、ということなのである。TPPとは関係無しに、特許制度の基本理念を守るために、日本は先出願主義から先発明主義へ転換すると宣言し、これを忠実に実行すれば、世界は日本を少しだけ見直すはずだ。しかし残念ながら、無能官僚や無能国会議員にそれは無理な注文。

相性の悪い上司

A子の会社は、某会の事務局としての業務をその会から外部委託という形で請け負っている。二ヶ月後にその会の全体ミーティングが開催される予定になっていた。A子の女性上司は、A子に対して、全体ミーティングへの出欠を問い合わせるメール作成し、その会のメンバー全員にそれを送る仕事を命じた。
A子は作成した問い合わせメールの冒頭部分に「貴~会のメンバー各位へ」と書いた。A子が問い合わせメールを発信した後で、そのメールの内容を見た上司が、「~会」の前に付けた「貴」は不適当であり、もっと状況を考えてメールを作成するように、とA子に注意をした。
上司の理解によれば、問い合わせメールはその会の事務局からその会のメンバーに宛てたものであるから、メール冒頭部分における「~会」の前に付けた「貴」は不適当である、ということである。上司は、A子が昨日今日会社に入ってきた人ではないのに、A子が会社とその会の事務局との関係をまったく理解していないことに呆れながら、A子に注意をしたのだった。
いつものように、A子は早速知り合いのB子に愚痴った。「この前も言ったけど、私の女上司、最低なのよね。どう見ても50は完全にいってると思うけど、婆さんなのよね。私のこと嫌いらしくて、私をすごーくいじめんのよね。私が若いんで、嫉妬しているのかしら。細かいこといちいち文句つけてくんのよ。昨日なんか、私がメールで貴~会って書いたら、貴は余計だなんて、怒ってんのよ。よく使うじゃない貴社って。だから貴~会だって正しいはずなのよ。それをイジメ目的だけで文句つけてくんだもんね。たまんないわよ。馬鹿上司を持つと」
上司にいじめられていると感じているあなた。上司から注意をされて、ムッとくるのは、人として普通です。誰でもそうです。でも、頭の中のほんの一部分でいいですから、その部分を使って、注意をされた自分に落ち度がなかったか冷静に考えてみましょう。それができれば、上司との関係が少しよくなるかも。
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。