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自転車の時代

また駅前から自転車を撤去している。無駄なことをするもんだ。高い所から低い所へ向かって水が流れるように、都会では既に自転車の時代に突入している。だから撤去しても撤去しても、自転車が駅前に集まってくる。
都会で自動車を持つためには、初期費用、維持費、税金、駐車場代金、すべてを足して平均すれば、年間100万円はかかる。おまけに、行きたい先にまともな駐車場がなければ、自動車を使ってそこに行くこともできない。都会では自動車は不便であり、単なるでかい鉄の塊であり、おまけに大変な金食い虫だ。
人々の精神構造も変質した。一昔前は、自動車を持つことは社会的なステータスであり、持つなら世間が認める高級そうなブランドのものを、と人々は思っていたのであり、実際に我も我もと自動車を所有した。そんな見栄を張ることから人々は卒業した。
また、ここ10年ぐらいの間に、公務員を除き、人々はずいぶん貧乏になった。これから先は、もっと貧乏になる。自動車を持たなければ、年間100万円節約できるのだ。これはでかい。
行政は、駅前から自転車を撤去するという時の流れに逆らうことをしてはいけない。行政は、時の流れに合わせた行動を取らなければいけない。行政がすべきことは、自転車を交通手段の中心に据えた都市作りをすることだ。具体的には、駅前に巨大な無料駐輪場を確保することだ。マイカー・ヨアカーの駅前への乗り入れを禁止することだ。主な道路に自転車専用レーンを設けることだ。これで都会は、人々にとってもっともっと住みやすい環境になる。
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予知

A男は、突然小学校の高学年の頃から、千鶴子という名を聞くと、体の中をちょっとした電気が走るようなギョッとする感覚に襲われるようになった。それ以前に、千鶴子という名の人と何かあったという記憶は無い。
中学生の時、同級生の中に千鶴子という名を持つ人がいた時には、その人のことが気になって気になって仕方が無かった。好きとか嫌いとかという感情が起こる前に体が勝手に反応するような感じで、とにかく気になって仕方が無かった。気が付くと、目が勝手にその人を追いかけていた。
読んでいる本や雑誌の中に千鶴子という名があると、その千鶴子という部分だけ活字が飛び出てくるような感じがし、同時に腸が動くような不自然なものを体の中に感じた。
A男が30歳になった時に過去を振り返ると、これまでに4人の千鶴子と出会っていた。付き合ったわけではないが。中学校の同級生に1人、高校の同級生に1人、学生時代のバイト先にいた1人、社会人になってから出会った1人。どの千鶴子も、頭の中で軽くその名を呟いた瞬間に、まさに生きている彼女の静止画や動画がA男の脳を埋め尽くした。
今A男は50歳。不倫をしている。相手の名は、千鶴子。1年前に出会った。A男は、その千鶴子に切っても切れぬ異様な縁を感じている。好きという気持ちはないが、体が勝手に彼女を好いている。A男は、その千鶴子と比べたら妻との縁は薄いと感じている。A男は、死ぬまでの間に妻との関係は消えることがあるかもしれないが、その千鶴子との関係は間違いなく一生続き、自分の死を見取るのはその千鶴子である、そんな気がしている。
今A男は、はっきりと理解した。小学校の高学年の頃から、千鶴子という名に対して自分が特別な反応をしていた理由が。

日本有事とアメリカ

ここ50年、アメリカが起こした戦争を見てみよう。ベトナム戦争、グレナダ侵攻、第1次湾岸戦争、第2次湾岸戦争、アフガニスタン侵攻。いずれの戦争においても、対戦相手国は非核保有国である。
アメリカは自国の安全保障に関して、日本とは桁違いの真剣さで対応している。核保有国と戦争をすれば、核爆弾がアメリカ本土で炸裂するのだ。アメリカは絶対にそれを避ける。アメリカは決して核保有国とは戦争をしない。これは、神との契約と言ってもいいくらいのもので、アメリカにとって自国の安全保障に関する基本原理なのだ。
日本有事の際、有事の他方の当事国が核保有国であれば、アメリカが日本のために軍事行動を起こすことは決してない。それは、上記の基本原理に抵触するからだ。核保有国とは戦争をしないことは、アメリカにとって神との契約である。一方、日米安保条約は、アメリカにとって単なる紙切れであり、破るために存在するようなものだ。日米安保条約に関しては、アメリカはいくらでも空約束をするし、平気で嘘もつく。
先の尖閣諸島問題では、当事の前原外務大臣がヒラリー・クリントン国務長官に「尖閣諸島は日米安保条約の適用対象内」と発言してもらって、得意気な顔をしていたが、能天気と言うほかない。
外務省の人間や国会議員の多くは、アメリカは日米安保条約を誠実に履行してくれる、と信じきっているようだが、その様はカルト教の信者そのものだ。再度言おう。日米安保条約は、アメリカにとって単なる紙切れであり、破るために存在する。

核融合炉

核融合炉の実現に向けて、研究が進められている。研究をすること自体は、悪いことではない。付随的に新たなことが色々分かるし、新しい技術が開発されるし、また技術面での進歩もあるからである。
よく知られているように、太陽は核融合炉である。結論から言うと、核融合炉を実現するには、太陽と同じものを作る必要がある。地球上で人類が太陽と同じものを作ることはできないので、そういう意味で人類には利用可能な核融合炉を作ることはできない。
物理学がさらに進歩して、数学やコンピュータがさらに進歩して、そして一人の天才が現れて、その天才が物理学、数学およびコンピュータを駆使して、核融合炉を実現するには、太陽と同じものを作る必要がある、ということを証明することになる。

冷戦の終結で中世は終わった

ギリシャ問題が起こったことで、ヨーロッパ連合が崩壊に向かっていることが明らかとなった。貧しい国ギリシャと豊かな国ドイツとを一つの巨大国家の中に押し込めることが、今の時代に合わなくなったのだ。
地球における複数の国の間での関係において、武力すなわち軍事力が物を言う中世は、冷戦の終結とともに終わった。
中世の時代には、国同士が連合して軍事的パフォーマンスを強化するのは、それなりに意味があった。また、米国、ソ連、中国のように強大な軍事力を持つ大きな国は、その存在自体にそれなりの意味があった。
近年、いくつもの国が核兵器を持つようになった。ある国が核兵器を持つと、その瞬間にその国の軍事力は実質的に所定の飽和レベルに達する。核兵器を持つどの国も、その軍事力は所定の飽和レベルである。つまり、核兵器を持つ国々の間では、実質的に軍事力の差はない。したがって、核兵器を持つ国がこれだけ増えてしまうと、核兵器を持つことでの他国に対する優位性が失われてしまう。
こうしたことが背景となって、地球における複数の国の間での関係において、軍事力の影響度が時の流れとともに下がっていった。軍事力に変わって台頭してきたのが経済力である。今や、地球における複数の国の間での関係において物を言うのは経済力である。
ヨーロッパ連合の崩壊から読み取れるように、貧しい広大な地域と豊かな広大な地域とを含む大きな国は、経済力が物を言う時代にあってはもはや安定解ではない。
この観点から中国を見てみると、そこには貧しい広大な地域と豊かな広大な地域とが並存していて、中国が安定解ではないことが分かる。おまけに中国には、共産党員と共産党員でない人々との間に、救いようが無いほどの権力や経済力に差がある。これも不安定要因だ。
いくら中国が南シナ海や日本近海で軍事的プレゼンスを誇示して国内の引き締めを図ってみても、安定解でない以上中国はいずれ崩壊する。

勉強が出来ない人

勉強が出来きて学業成績が良い人ほど、創造性はない。逆に言うと、勉強が出来なくて学業成績が悪い人ほど、創造性がある。
勉強が出来ない人の脳は、普通の人の脳とは違っている。勉強が出来ない人の脳全体における論理回路は、その人独特であり、普通の人のそれとは質的に大きく異なっている。
勉強が出来ない人の脳と勉強が出来る人の脳に同じ試験入力を加えた場合、勉強が出来る人の脳は皆が期待する平均的な答えを短時間で出力するのに対し、勉強が出来ない人の脳はまったく予期せぬものを不定時に出力する。この予期せぬものが創造性の結果である。
低い土地ほど人々が豊かに暮らせると仮定しよう。そして、誰も登ったことがない高い山々に周りを完全に囲まれた盆地に人々が住んでいるとしよう。人々を仕切る長が勉強の出来る人である場合、その長は変化を求めることはせず、今後も引き続きその盆地に人々が住むよう、人々を指導する。長が勉強の出来ない人である場合、その長は創造性を働かせて、人々の中から強靭な若者を選び、何としても山の頂上まで登り、山の向こう側を覗いてくるようその若者に命令する。命令を実行し帰ってきた若者が人々に報告する。「山の向こう側にはここよりもっと低い土地がある」長は創造性を使って、人々が全員無事山の向こう側の低い土地に辿り着ける奇策を考え出す。長は人々全員を引き連れて、奇策にしたがって行動し、何とか山を越え、山の向こう側の低い土地に辿り着く。
国が抱える借金1000兆円問題は、勉強が出来る官僚には決して解決できない。可能性は殆ど無いがもしその問題が解決できるものであれば、その解決方法は勉強の出来ない創造性豊かな人によってのみ考え出される。

コルマン・インデックス 2011年10月28日

マヤカレンダーの終わりの日は、2012年12月23日である。この日をもって人類は滅亡する、との解釈も存在する。
スウェ─デンの科学者・カール・ヨハン・コルマン博士が、マヤンカレンダーを研究して、コルマン・インデックスなるものを作った。
コルマン博士によれば、マヤカレンダーは人類を含んだ宇宙的な意識進化の予定表であるとのこと。コルマン・インデックスは、意識誕生からの意識進化を9つの段階に分け、それぞれ第1ウエーブから第9ウエーブと名付けている。意識進化は第9ウエーブで終わり、それから先はない。
第9ウエーブは、2011年3月9日に始まり、2011年10月28日に終わる。つまりコルマン・インデックスによれば、終わりの日は、2012年12月23日ではなく、2011年10月28日なのだ。
コルマン・インデックスにおける第9ウエーブの衝撃は、それが始まった直後の2011年3月11日に日本で起きた出来事に尽きる。
2011年10月28日に何が起こるのだ。2011年10月28日は、すぐそこだ。

国々と世界

世界は様々な国に分かれている。このように世界が複数の国に分かれている意味合いは、何だろうか。国の機能面での役目は、貧困の閉じ込め、それとも豊かさの独り占め、だろうか。
ヨーロッパ連合は、これを確かめるための実験場となっている。貧困の閉じ込めとしての機能を持っていた国、ギリシャ。豊かさの独り占めとしての機能を持っていた国、ドイツ。ヨーロッパ連合の中で、これら両国が擬似的に国境を無くし、融合しようと試みられている。
今起こっているその途中結果は、ギリシャの貧しさがドイツの豊かさをまさに食いつぶそうとしている状況である。
この結果から明らかだが、ヨーロッパ連合はいずれ失敗に終わる。ある国が豊かさを維持しようとしたら、貧困を別な国に封じ込めておかなければならないのだ。世界を制する、あるいは制しているのは、豊かな国々であり、貧しい国々ではない。世界の状況に関する決定権は、豊かな国々が握っているのである。
豊かな国々が豊かな国々として今後も存在してゆくためには、貧しい国々の存在が必要なのである。豊かな国々が豊かな国々として今後も存在し続け、そして貧しい国々が豊かな国々へと成長してゆく、というビジョンは幻想である。

日本一多く蟻を殺した男

日本一多く蟻を殺した男がいる。彼には、いつから蟻を殺し始めたのか、という記憶がない。幼児の頃からそれを始めていたようだ。
彼が子供の頃のやり口はごく単純で、巣の周辺で群れている蟻を片っ端から足で踏みつぶすというものだった。彼が少し成長すると、蟻を一匹殺さないように摘まんで、それを蟻地獄に放り込んで、蟻が逃げようとするも砂の壁に阻まれ、最後には捕獲され、砂の中に消えて行くのをじっと見る、ということもしていた。
さらに、同様に蟻を一匹殺さないように摘まんで、今度はそれを蜘蛛の巣に投げ込んで、蜘蛛の巣に引っ掛かった蟻が蜘蛛に襲われ、そして蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされた後、体液を吸われながら殺されてゆくのをじっと見る、ということもしていた。この時は、蟻がやられた後に、蜘蛛への「お前よりもっと強いのがいるんだ」という気持ちを込めて、木の棒で蜘蛛を叩き落し、そして巣を完全に破壊するようにしていた。
また、日が当たっている場所で、虫眼鏡で太陽光を一匹の蟻に集中させ、やがて煙を出しながら焼け死んでゆくのを見る、ということもしていた。
彼によるこのような殺戮は、彼が中学を卒業する頃まで続いた。その後、彼は蟻への殺戮をピタリと止めた。いずれにしろ、彼が殺した蟻の数は、間違いなく日本一多い。
彼が大人になると、不幸が次々と彼を襲った。不幸に次々襲われる理由は、始め彼には分からなかった。しかし、年月が経つと、不幸に次々襲われる理由は蟻を殺戮したからだ、と彼は考えるようになった。そう考えるようになってからも、彼には次々と不幸が襲ってきた。いつの頃からだろう、これからも一生不幸に次々襲われることになる、おれがやった蟻への殺戮はそのくらい酷いレベルだった、と彼は諦めるようになった。
今彼は、歩いている時に自分の足が着地しようとする場所に蟻を発見すると、反射的にその場所への足の着地を回避するようになっている。

電気料金

東電役員・社員の高給のために、関東の人々は世界一高い電気料金を真面目に払い続けている。
東電自体は、すべての事業を丸投げしているので、丸投げ業務用に大型コンピュータと少数の社員がいれば成り立つ会社である。しかも、やっていることを電力供給に関することだけに絞ると、必要なコンピュータのサイズを小さくでき、また必要な社員数も減らすことができる。このような方向に沿って東電の規模を大幅に縮小すれば、年間100億円程度の予算で、東電は現在と同質の電力供給を維持することができる。なにしろ、実際に電力供給を担っているのは、丸投げされた方の会社なのだから。
要するに、東電がやっているのはブローカのそれであり、自ら財を生むことはなく、国にに利益をもたらすこともない。
上記のように、東電の規模を大幅に縮小したならば、本来は電気料金を大幅に下げることができるのだが、原発事故への補償を考えると、電気料金の下げ幅を抑えて、余った金をすべて原発事故への補償に回すべきである。
東電役員・社員の高給のために、関東の人々は世界一高い電気料金を真面目に払い続けている。これと良く似た構図が、もう一つ存在する。公務員の高給のために、人々は高い税金を真面目に払い続けている。

ぶち壊す女

社内でとあるプロジェクトを遂行するために作られたチームのメンバーとして、A子は働いていた。チーム結成直後に、プロジェクトの達成に向けてある戦略が立てられた。そして、その戦略に従ってメンバー全員が一丸となって行動することを、メンバー全員が合意した。
A子は、その戦略に沿って、一生懸命働いているように見えた。ところが、ある日突然、A子がひどく興奮しながら、「戦略、ぜんぜん駄目じゃん。今すぐ変えて、何とかしなきゃ」と他のメンバーに向かって大声で言った。
「昨日まで戦略に賛成して働いていたのに、今日になって戦略を完全否定かよ。どうなってんだA子の頭は」と他のメンバーは呆れた。
A子の発言は、他のメンバーの気持ちを萎えさせた。それからというもの、チームの士気が落ち、プロジェクトの達成が怪しくなってしまった。
実はA子は、戦略に対する小さな不満を少しずつ溜め込んでいた。そして溜め込んだ不満の量が閾値を越えた瞬間に、あの発言をしてしまったのだった。おまけにA子は、そのような発言をすればチームが壊れてしまうことに、気が付かない人間だった。
突然あの発言をする前に、自分が戦略に対して感じた不満をその都度他のメンバーに伝える努力をA子はすべきであった。そうすれば、チームに戦略を改善する機会が与えられたかもしれないし、他のメンバーから不満解消に向けて有益なアドバイスをA子はもらえたかもしれない。いずれにしろ、チームが壊れてしまうことはなかったはずだ。
A子のような行動パターンをとる人は、結構いる。ある日突然180度心変わりするように、周囲から見える人。そして、その心変わりにより周囲をぶち壊してしまう人。このような人達には、共通の顔相がある。サイボーグを連想させる顔相である。

自転車と貧乏

大昔のイタリア映画の「自転車泥棒」を見ると、自転車が貧乏の象徴になっている。これまた一昔前の中国の映像は、人民服を着た人達が乗る夥しい数の自転車が群れを成し、幅の広い道路を同じ方向に走る光景を写していた。
経済が右肩下がりの日本。これからどんどん貧乏になってゆく。もう人々は車を持てなくなる。いよいよ自転車の出番だ。
まず、駅の周りには広大な無料駐輪場を用意しよう。駅前のロータリーと駅周辺へは、マイカー・ヨアカーの乗り入れ禁止。
交通手段の優先順位は、鉄道、路面電車、バス、タクシー、営業用自動車、そして自転車の順。マイカー・ヨアカーは、もはや交通手段としてカウントされない。それでも、マイカー・ヨアカーを所持したい人は、所有税として年間1億円を払うこと。
これって、以外といい世の中かも。自転車万歳。貧乏万歳。

マイカーによる送り迎え

とある大規模住宅団地は、最寄りの駅から徒歩15分ぐらいの所に位置する。その昔、朝の通勤時間帯になると、大勢の人達がその団地から最寄り駅へと1本の道に沿って歩いていた。その光景は、まるでその団地から最寄り駅まで続くアリの大行列のようであった。
いつの頃だろう、アリの大行列は姿を消し、その団地から最寄り駅へと歩く人達の数もぐーんと減ってしまった。その代わり登場したのが、妻がマイカーを運転して、夫を団地内の家から最寄り駅まで送ることである。あっちの家庭もこっちの家庭も、これをやり始めた。このため、朝の通勤時間帯、最寄り駅やその周辺は、妻達が運転するマイカーで、ひどく混雑するようになった。
徒歩15分と言えば、朝体をほぐし、脳をすっきりさせる運動としては丁度良い。徒歩15分のうちに、道端に何気なく咲く草花を見ることができるし、鳥の鳴き声を聞くこともできる。そんなとっても良いことを、妻はマイカーを運転して夫を最寄りに送ることで、夫から奪った。
人間、足を使わないと、下半身が簡単に老化する。弱った下半身では、転びやすくなる。転んで骨折したら、へたをすると、一生車椅子になってしまう。そんなこんなで、早く死んでしまう。
マイカーで夫を最寄りに送ることで、妻は夫を早く死なそうとしているのかと疑ってしまう。計算でこれをやっているとしたら、女は恐ろしい。
マイカーで夫を最寄りに送ることは、愛なんかじゃない。夫への愛があるのなら、マイカーで夫を最寄りに送ることは止めて、夫を最寄りまで歩かせるべきだ。そうすれば、夫の下半身は少しでも鍛えられ、また夫の脳もすっきりさせられる。加えて、道端に何気なく咲く草花を見る楽しみや、鳥の鳴き声を聞く楽しみを、夫に与えることもできる。
賢明な妻は、夫のためを思って、決して夫を甘やかさない。夫は夫で、妻にマイカーで送ってもらって、デレデレしてんじゃない。歩けるうちは自分の足でちゃんと歩け。

冤罪装置

数々の冤罪事件を見てみると、検察と裁判所が冤罪製造装置として機能する構造を持っていることが分かる。もっとも恐ろしいのは、そのことを検察官と裁判官がまったく自覚していないことだ。
一つ一つの冤罪事件に関しては、人間誰しもミスジャッジはある、というレベルではない、裁判官が無罪につながるごく単純な矛盾や疑問点を見過ごしてしまったことは。民間での社会経験がまったくない裁判官が、これまた民間での社会経験がまったくない検察官が提起した事件のストーリーを、条件反射的に追認する。
誰でも10年ぐらい民間で社会経験を積むと、世の中にはいろいろな人がいて、そんな人達がいろいろなことをし、それぞれの人がそれぞれ複雑な背景を抱えている、ということを理解する。
そのように民間で社会経験を積んだ人が、仮に検察官が提起した事件のストーリーを聞いたとすると、「ほんまかいな?」と疑う姿勢をとるはずだ。このごく単純に疑う姿勢が裁判官にあったならば、食い止められた冤罪事件もあったはずだ。
検察と裁判所が冤罪製造装置として機能する構造を持っていることを検察官と裁判官が自覚していないいじょう、判決の信頼性を上げることについて、内部から検察と裁判所を改革することは不可能だ。そうすると国会の出番なのだが、肝心の国会議員の多くが検察と裁判所に何の問題も感じていない。お先真っ暗だ。
せめて、検察官と裁判官になるには、民間で社会経験を10年以上積んだことをその条件にすべきだ。
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