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日米安保

日米安保(日米安全保障条約)を神のように崇め、それを信じて疑わない人達は、カルト教の信者そのものだ。
日本有事の際に自衛隊と共同して日本を守るためにアメリカ軍が行動を起こすか否かは、その時のアメリカ政府しだいであり、アメリカ議会しだいであり、アメリカ国民しだいであり、アメリカの気分しだいなのである。
アメリカ軍が行動を起こした場合に想定されるアメリカ軍の犠牲がアメリカの政府、議会、国民が許容できないレベルであれば、アメリカ軍は行動を起こさない。
日本有事の他方の当事国が核保有国であれば、被爆を避けるために、在日アメリカ軍基地からアメリカ軍は速やかに撤退する。日本を守るためにアメリカ人が被爆することなど、アメリカの政府、議会、国民が絶対に許さないからだ。
アメリカにとってのイギリスやフランスと、アメリカにとっての日本とは、重要さの点で決定的な開きがあるのである。
国際軍事条約は破るために存在する。そのようなものを神のように崇め、信じ込んではいけない。カルト教信者に占拠された外務省など、日本には必要ない。
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レッドカード

官僚内閣制は、日本において今日まで長い間続いている政治体制である。この官僚内閣制においては、実質的な内閣を官僚のみが構成する。そこには、官僚総理大臣を始め、官僚財務大臣や官僚外務大臣等、必要なすべての官僚大臣がいる。この官僚内閣制のもとでは、国会議員等による大臣は、直属の官僚大臣の指示に従って、大臣役を忠実に演じることだけが求められる。多少のオーバーアクションはあったが、今日まで国会議員等による大臣はこの求めに従ってほぼ忠実にえんえんと演技をしてきた。
この官僚内閣制が、今日までの結果として、国と地方合わせて1000兆円の借金を作ってしまった。この1000兆円の借金は、まさにレッドカードだ。神が発したレッドカードだ。天が発したレッドカードだ。
正真正銘の一発退場レッドカードだ。ただちに官僚内閣を構成する役人は、政権を奉還しなければならない。それが、日本人として、作った借金1000兆円の責任を取るということである。そもそも、借金1000兆円を作った者どもに、この日本国を運営する能力など始めから無かったのだ。無能だから、1000兆円の借金を作ってしまったのだ。このことを、官僚内閣を構成する役人がまったく自覚していないことが恐ろしい。何かのギャグか。借金1000兆円は決して国民が作ったのではない。お前達や、お前たちの先輩が作ったのだ。「増税しないと国の借金が大変なことになる」だと、ふざけたことをぬかすな。借金を作った張本人が言うセリフではない。
政権奉還先となる国会議員連中を見ると、さらに暗澹たる気持ちになる。鶴田浩二が唄った曲の歌詞が頭に浮かんでくる。
「何から何まで真っ暗闇よ、筋の通らぬことばかり、右を向いても左を見ても馬鹿と阿呆(あほう)の絡み合い、どこに男の夢がある」
あーあ本当に駄目か、日本は。

借金と夫婦関係

妻を介して、夫が妻の親から借金を頼まれた。夫は、今後の夫婦関係を考え、そして妻の顔を立てる意味もあって、借金の依頼に応じ、妻の親に金を貸した。
貸してからしばらくの間は、夫に妻の親は少しずつ借金を返してくれた。しかし、ある日を境に借金の返済は滞り、結局残りの借金は踏み倒されてしまった。夫は、金を貸した自分が悪い、と思うことで自分を納得させるように努めた。借金を踏み倒されたことで、夫が妻を責めることはなかった。
ところが、借金踏み倒し事件が起きてからというもの、この事件とはまったく無関係の問題で、夫が妻に意見や注意をすると、その度に妻はすぐにキレるようになってしまった。夫には、妻がすぐにキレる理由が、はっきりとは分からなかった。
後日、「私の親が借金を踏み倒したことで、私の夫は私を恨み、私を徹底的にいじめるようになった」と妻の友人に妻が愚痴を言っていたことが、人伝いに夫の耳に入った。
その日の夜、夫は妻に「私を誤解している」と話し、「私は借金を踏み倒されたことはもうあきらめたし、そのことを根に持って、君に意見や注意をしたんじゃない。借金の踏み倒しとはまったく別な問題で君に意見や注意をしたんじゃないか。それは君も分かってるだろ」と続けた。しかし、妻はまったく取り合わず、激怒しながら「あなたは借金を踏み倒されたことに怒って、私をいじめてるだけじゃない。そうでしょっ」と叫んだ。
そもそも、妻の口利きだからと言って、夫は妻の親に金を貸してはいけない。よっぽど出来た人でない限り、女は被害者意識の塊。自分が口利きした借金が踏み倒されることは、女の被害者意識に火をつける。それからというもの、被害者意識が燃えに燃える。そうなると、完全に妻は夫の手に負えなくなる。

磁気定期券とIC定期券

短期間のうちに磁気定期券がIC定期券に取って代わられた。磁気定期券を使用しているのは、私を含めてほんの少数だ。
私は、IC定期券に代えて再び磁気定期券を使用することを勧める。IC定期券について言えば、始めにデポジットとして500円を払うのが気に入らない。
IC定期券は、改札機の所定マークのところにそれをタッチさせるだけでよく、使い方がとても簡単だ。それに比べて、磁気定期券を使いこなすには、手先の器用さが求められる。
改札機前部の細長い孔に磁気定期券を入れる、しかも歩きながら。これ、結構むずかしい。手先をうまく操作しないと、これができない。磁気定期券の前方辺を、細長い孔に対して平行にしながら、また細長い孔に位置合わせをしながら、それに近づけてゆくのである。歩きながら。歩いていると、視線がぶれるし、また手元も微妙に動く。これらのことが、磁気定期券を細長い孔に入れるのを邪魔する。立ち止まらないと、磁気定期券を細長い孔に入れられないこともある。
そして、改札通過のタイミングに合わせて改札機後部の細長い孔から半分顔を出す磁気定期券を指で摘んで改札機から引き抜く。しかも歩きながら。これ、入れる時よりむずかしい。指を磁気定期券の出ている顔に正確にヒットさせ、しかも親指と少なくとも人差し指との間でそれを挟む。挟む力が弱過ぎてはだめだ。ここでも、歩くことにより生じる視線のぶれや指先のぶれが邪魔をする。私など、10回に1回くらいは磁気定期券を取り損ねる。
このように、手先や指先に相当神経を集中しないと、磁気定期券は使えない。逆に言えば、磁気定期券を使っていると手先や指先の運動神経が知らない間に鍛えられ、それによって手先や指先の運動機能が維持される。タッチさせるだけで使えるIC定期券は、手先や指先の運動機能をどんどん低下させる。今すぐ、IC定期券をやめて、磁気定期券を使用すべきだ。

人生において負け続ける

麻雀をするとよく分かるのだが、この世にはツキというものがある。ツキは人々の間をランダムに移動してゆく。ある人にはツキが長い期間とどまり、別な人には短期間しかとどまらないと言った具合に、ツキが一人にとどまる期間もまちまちである。
ツキが無い時には、セオリーに従った最善手を打ち続けても、勝負に勝つことはできない。逆にツキがある時には、セオリーを無視した悪手を連発しても、勝負に勝ってしまう。
長時間のゲームをしていると、その間、周期的に自分にツキが来たり、自分からツキが離れたりする。ゲームに強い人は、今自分にツキがあるか、それとも無いかを動物的感覚で鋭敏に嗅ぎ分ける。そして強者は、ツキが無い時に、極めて冷静であり、自制的に振舞う。強者は、ツキが無い時に、大きな勝負手を打つことはせず、なるべくゲームへの参加度合いを低くする方向で行動し、自分へのダメージを最小限にとどめようとする。強者は、いつかは必ず自分にツキが回ってくることをよく知っている。そして強者は、実際に自分にツキが回ってくるのを静かにただただじっと待つ。
逆にゲームに弱い人は、負けがこむと頭に血が上り、大きな勝負手しか頭に浮かばなくなり、実際にそれを打ち、決定的なダメージを喰らってしまう。負けがこむということは今自分にツキが無いということを意味しているのだが、弱者にはそれが分からない。
人生において負け続けている人は、今自分にツキが無いということをまず知ろう。ツキが無い時には何をやってもうまくゆかないので、大きな勝負手を打つことはせず、なるべく何も勝負しないでいよう。いつかは必ず自分にツキが回ってくることを知ろう。そして、自分にツキが回ってくるのを静かにただただじっと待とう。ツキに関する感覚を磨いて鋭敏にしておこう。そして、自分にツキが回って来た時には、そのチャンスを逃さず、勝負に打って出よう。

シンクロニシティ(共時性)

A男は、学校を卒業して以来約10年ぶりで、学生時代の友人、山口勝也(やまぐちかつや)さんと渋谷で会うことになった。A男が待ち合わせ場所に着いてから5分ぐらい経つと、山口さんがやってきた。さすがに若干年を取った感じではあったが、山口さんは学生時代とそんなに変わっていない印象だった。ヤーッ、オーッと声を掛け合うと、A男の頭は一瞬にして学生時代にタイムスリップしてしまった。
A男は、山口さんを行付けの飲み屋につれていった。学生の時以来、そこでA男は、山口さんと酒を飲んだ。話は盛り上がった。特に学生時代の女の子達、B子やC子やD子の話は、まさに10年という時間を越えて、大いに盛り上がった。普段、仕事でストレスを過剰なほど受けているA男にとって、そんなことすべてを忘れるくらい本当に楽しい時間だった。楽しさに乗せられて、A男はいつも以上に飲んだ。
お開きとなって飲み屋を出た後、ハチ公前でA男は山口さんと別れた。A男は田園都市線、山口さんは井の頭線。A男は駅のホームにつながる階段を少し千鳥足で下りていった。A男は、今日は少し酔ったな、と思った。ホームに着くと、しばらくして電車がやってきた。いつもながら、夜遅い時間帯の渋谷駅ホームは、大変な混雑だ。
A男は、後ろの人に押されるようにして、電車に乗り込んだ。いつものことながら、電車はドアを開けたまま渋谷駅ホームに少なくとも1分は停車する。電車に乗り込んだA男の耳に、車内放送が飛び込んできた。「毎度田園都市線をご利用いただきましてありがとうございます。運転手は、やまぐち、車掌は、かつや、でございます。」
嘘だろーっ、A男は思わず大声を出しそうになった。A男は、周りの乗客に向かって、やまぐちかつや、冗談じゃねーぜ、それはついさっきまで俺と一緒に酒を飲んでいたやつの名前だぜ、と叫ぼうとしていた。

団塊の世代とともに日は沈む

団塊の世代とは、1947年から1949年にかけて出生した世代であり、合計800万人強である。
彼らが学校を卒業して社会へと旅立った1960年代後半、日本経済はまさに絶好調。経済成長率は10%を越え、日本経済は彼らを働き手として完全吸収した。当時の失業率が1%台であったことが、このことを物語っている。
彼らは社会で猛烈に働いた。彼らが壮年期であった1974年から1990年にかけて、平均成長率は4%を越えた。この間の彼らの働きは、高度成長の結果大きくなった状態から日本経済をさらに一段と成長させ、日本経済を別次元の巨大かつ強力なものとした。勢い余ってバブル景気まで演出してしまった。
彼らが壮年期から中年期に移る1992年に、バブルが完全崩壊した。
彼らが中年期であった1991年から2010年にかけて、日本経済の構造に質的変化が起こり、彼らの働きは日本経済にとって方向違いのものとなってしまった。したがってこの期間、日本経済はまったく冴えなかった。平均成長率は1%を切ってしまった。この期間、彼らは日本社会において指導的立場となり、日本社会をコントロールしていたが、日本経済の構造に質的変化が起こっていることをまったく理解せず、闇雲に国債を増発するなどトンチンカンな働きをして、日本経済にリンクする日本国財政を破綻寸前にまで追い込んでしまった。この期間、彼らは国債発行残高をなんと470兆円も増やしてしまったのである。国債発行残高を470兆円も増やしたのに平均成長率は1%を切る、このような日本経済は彼らにとってまったく理解不能なものであった。
2011年は、彼らが中年期から老年期に移る最初の年である。2011年以降、日本経済の屋台骨からごっそり団塊世代が抜けてゆく。2011年以降、団塊世代は財を生む人々から財を食う人々へと変わってゆく。自分達が残した巨額な発行済国債に対してなんら責任を取ることなく、団塊世代はぞくぞく年金生活者となってゆく。用意された年金資金は、団塊世代によりあっという間に食い尽くされてしまうだろう。こうして彼らが老年になると、年金制度が崩壊し、そして日本国財政が破綻し、日本経済は地平線の下に沈んでゆくのである。

千里眼

ヨーロッパにおいて、電話も無線通信機も無い時代に、思想家スウェーデンボルグは自分がいる場所から約480キロメートル離れた位置で起きた大火災をリアルタイムで透視した。この透視の内容に関しては、スウェーデンボルグと同席していた人の証言等により、その正しさが証明されている。哲学者カントも、この透視内容の正しさを追認している。
日本では明治時代に御船千鶴子が、三井合名会社の依頼で透視を行い、万田炭鉱を発見した。そして、その謝礼として大金をもらった。明らかに、この透視の内容は正しかったのである。
人間が自分の目を通してのみ周囲の状況を見ることができるのであれば、上記2つの透視は説明できない。
人間が肉体とその肉体に宿る魂の共同体であり、魂の少なくとも一部が肉体から離れることができ、しかも肉体から離れた部分の魂を通して物や景色を見ることができるのであれば、上記2つの透視を説明することができる。
上記2つの透視の内容が正しかったのは単なる偶然の結果に過ぎないと片付けてしまえば、人間は自分の目を通してのみ周囲の状況を見ることができるとする常識的概念を変更する必要は無く、また魂の存在も否定することができる。現代科学は、この方向にある。
しかし、上記2つの透視の内容が正しかったのは単なる偶然の結果ではなく、離れた2つの場所の間で視覚的情報が伝達された結果である場合、肉体と魂とが人間を構成していることを認めざるを得ない。
こうして論理的に整理してみると、どうやら人間には魂があるようだ。ただし普通の人間では、魂は肉体に密着していて、めったに肉体から離れることはないようだ。

日本人の精神構造 恥という感覚

人が日本社会で育つと、いつの間にか、恥に関する感覚が備わり、そしてどういうものが恥かを知るようになり、恥をかかないように生活していこうとする姿勢が身に着く。どういうものが恥に相当するかは、あくまでも自分自身の感性に刷り込まれるのであり、他人の顔色をうかがって変化するようなものではない。そして、恥に関する感覚は、もっぱら自己の行動を縛るために働く。要するに、恥とは自己の中で内的に作用するものであり、自己を律する概念なのだ。平均的な日本人の精神構造においては、恥という感覚が大きく特異な位置を占める。
菅内閣の官房長官であった枝野氏が野田内閣で失言大臣に代わり経済産業大臣になった。誰の目から見ても明らかなように、菅内閣が無能との民主党内外における圧倒的多数の判断により、菅内閣に代わり野田内閣が誕生したはずだ。このような背景を考えると、菅内閣の官房長官であった枝野氏が野田内閣で経済産業大臣になった行為は、日本人の精神構造においては、恥に相当する。
無能との烙印を押された菅内閣の一員であった枝野氏は、自身にも無能との烙印を押されたことになるのだ。恥を知る普通の人であれば、誰かに教わらなくても、当然そのように理解する。少なくとも次の衆議院選挙で再度当選して選挙民の信任を得るまでの間は、内閣には一切かかわらないようにするのが、恥を知る人のすることである。他人からどんなに内閣に入るよう勧められても、自分自身の基準に照らして考え、その結果内閣には一切かかわらないようにするのが、恥を知る人のすることである。
そのような枝野氏を経済産業大臣に指名した野田氏も、恥を知らない人である。指名する方も、指名を受ける方も、恥を知らない人である。多くの人が言うように「あなた達、日本人ですか?」と尋ねたくなる。

大臣になると失言してしまう人

嬉しいことがあると、人は多弁になる。大臣になったことがよほど嬉しかったのだろう。ピラミッドの頂点に立ったような気分になると同時に、全知全能感覚が湧き上がってきて、下々に向かって何かを喋りたくなったのだろう。たばこ税発言大臣、総理に失言大臣任命責任無し発言大臣、この手合いだ。
普通に社会勉強を積んできた人なら、大臣に指名されると、その職務の責任の重さが頭にのしかかり、嬉しさが抑え込まれてしまう。そして、大臣の発言に関する責任の重みが、単なる国会議員のそれに比べて桁違いであることも、事前に十分理解している。したがって、このような普通の人は、大臣に指名されると、気分が憂鬱になり、口も重くなる。国会議員には、このような普通の人ではない人が多いのだろう。
野田氏は、民主党代表選挙等を通じて官僚内閣制をより強固にすることを宣言し、そして最終的に総理大臣に選出・指名された。官僚内閣制は、日本において長い間続いている政治体制である。この官僚内閣制においては、実質的な内閣を官僚のみが構成する。そこには、官僚総理大臣を始め、官僚財務大臣や官僚外務大臣等、必要なすべての官僚大臣がいる。この官僚内閣制のもとでは、国会議員等による大臣は、直属の官僚大臣の指示に従って、大臣役を忠実に演じることだけが求められる。
したがって野田氏は、組閣にあたり、大臣候補に対して少なくとも次の3点に関する誓約書をとってから、候補者を大臣に指名すべきであった。
1.私は、官僚内閣制を尊重し、官僚総理大臣および直属の官僚大臣からの指示に従い、大臣職を忠実に演ずることを誓います。
2.私は、私に伝えられた直属の官僚大臣からの国民や野党へのメッセージを一語一句間違えることなく正確に発音することを誓います。
3.私は、公式の場ならびに報道関係者が同席するオフレコの場では、直属の官僚大臣からのメッセージ以外は、一切喋らないことを誓います。

演歌

1970年代、夏の房総海岸。ある大学のあるクラブの学生達が設営し運営する海の家があった。海の家と言っても、建物はそれほど大きくはなく、建物の中に調理場と客用の座敷があった。その海の家は、基本的にはオープン・カフェ形式であり、建物の前の砂浜にテーブル、椅子、パラソルのセットが十数個並べられていた。客用のメニューには、カレーライス、焼きそば、ラーメン、ソフトドリンク、ビールなどがあった。調理場は男子学生が担当し、女子学生がウエイトレスをやっていた。
今日は、海の家のスタッフの一人のコネで、学生ロックバンドが海の家に来て、生演奏で海の家を盛り上げてくれることになっている。
海の家の建物の中に急遽作られたステージの上で、学生ロックバンドによる演奏が始まった。Proud Mary(プラウド・メアリー)、Have You Ever Seen The Rain?(雨を見たかい)、・・・。CCR(Creedence Clearwater Revival)のヒット曲を中心に次々と有名な曲が流れる。
学生ロックバンドのメンバーは、男子3人、女子1人。ドラムス。ポニーテールの可愛い女子学生のキーボード兼ボーカル。ベースギター兼ボーカル。リード・サイドギター兼ボーカル。
海の家のスタッフの男子学生と女子学生の多くが、演奏に合わせて手拍子をたたいている。歌詞を口ずさんでいる学生もいる。海の家のお客さん達は、生演奏に大いに盛り上がっている。手拍子をたたき、中には大きな声で歌っている若い人もいる。ぎらつく太陽の下、広い砂浜にいる大勢の人達も、海の家の方を向いて、生演奏を聞いている。楽器音とボーカル音が、風に乗って海岸に拡がってゆく。
その日の夕方、来てくれた学生ロックバンドのために、海の家で小さなパーティが行われた。ソフトドリンクやビールを飲みながら流行のロックやフォークを皆で歌っている。一曲歌い終わると、皆でわいわい・がやがや、お喋り。そして、次の曲を皆で歌い始める。ロックやフォークを歌ってはお喋り、ロックやフォークを歌ってはお喋りの繰り返し。
すると、突然一人の男子学生が「人生劇場」を歌い始めた。即、他の男子学生達がこれに続き、「人生劇場」の大コーラスとなった。歌い終わると、一番年上の大学5年生の男子学生が「もう一回いこう」と叫んだ。それに皆が「オウーッ」と答えた。再び「人生劇場」の大コーラスが始まった。いつの間にか、歌っている男子学生達が輪になって肩を組んでいる。「人生劇場」の大コーラスは、パーティがお開きになるまで、途切れることなく繰り返された。

男はみなマザコン

少年は、自分の名を呼ぶ母親の声に極めて敏感である。雑踏の中でも、自分の名を呼ぶ母親の声を少年は精度良く識別する。遥か遠くからのかすかな、自分の名を呼ぶ母親の声を少年は聞くことができる。地球の裏側にいる母親が出す自分の名を呼ぶ声すら、少年は聞くことができる。
何万回も、何十万回も、何百万回も聞いたことがある、自分の名を呼ぶ母親の声。耳を通して少年の脳に入るあらゆる音に対して、少年の脳はまず始めに自分の名を呼ぶ母親の声を検出するための分別処理を施す。この検出の感度は無限大。どんなに信号対雑音比が悪くても、そんなことお構いなしに、少年の脳に入るあらゆる音の中に、ほんの僅かにでも自分の名を呼ぶ母親の声があれば、少年の脳はそれを捕らえる。
少年にとって母親はこの世のものではない。神なのだ、女神なのだ。少年と母親は一心同体。少年はいつも女神にやさしく抱かれているのだ。
あなたの彼にとってあなたは、たんにセックスの対象に過ぎない。あなたとあなたの彼の間に、愛などというものは存在しない。勘違いしなさんな。あなたの彼と彼の母親との間には、大きな大きな愛が存在する。なにせあなたの彼にとって彼の母親は女神なのだから。いつまでたっても、あなたの彼にとってあなたは他人。いつまでも、いつまでも、あなたの彼にとって彼の母親は女神。勝負したって勝てるわけがない。腹を立てなさんな。諦めなさい。セックス対象としての地位で我慢するしかないのです。

人生に逆転勝利するための条件

日本プロボクシング史上最も偉大なボクサーは、輪島功一である。彼は、タイトルマッチで負けて、2度世界王座から陥落したが、その後タイトルマッチに勝って、2度世界王座に返り咲いた。輪島功一は、敗北から2度復活した。敗れた後復活できるかどうかにおいて、スポーツ選手はその真価が問われるのであり、敗れた後復活する時にこそスポーツ選手は最も光輝くのである。
日本プロ野球史上最高の選手である長嶋茂雄にしてもそうだ。彼は公式戦デビューで、金田正一に4打席連続三振を喰らって敗北した。この敗北からの復活が彼のプロ野球人生そのものであった、と言ってもいい。そしてこの敗北からの復活が、彼にミスタープロ野球という称号を与えた。王貞治にしてもそうだ。彼は投手としてプロ野球界に入ったが、間も無く敗北した。この敗北の後、もの凄い努力のすえ彼は打者として復活した。そしてこの敗北からの復活が、彼を不世出のホームランバッターにした。
人生において連戦連敗を続けているあなたは、心がめげてしまっていることでしょう。体もめげてしまっていることでしょう。そんなあなたが人生における逆転勝利を狙うには、まず勝利の定義を自分に対してなるべく明確にしておくべきでしょう。例えば、金持ちになる、良い人と結婚する、23区内に一戸建て住宅を持つ、といったことがそのような勝利の定義になり得ます。
定義した勝利に向けて努力しなさい、とは言いません。定義した勝利に向けて勉強しなさい、とも言いません。一番重要なことは、逆転勝利が起こる瞬間まで何とか生き続ける、ということです。そのためには、自分の心の99パーセントは敗北に汚染されても仕方がないのですが、自分の心の残り1パーセントで敗北から隔絶され得る自分の世界を事前に構築しておくことです。つまり、自分の心を事前に2つに分けておき、その一方のみで敗北を受け止め、そして精神的に敗北を処理し、他方で敗北とは無関係の自分の世界を構築しておくことです。さらに言えば、事前にどんなに狭くても構わないから自分の心の一部分を、敗北から一切影響を受けないものにしておくことです。
敗北から影響を受けない自分の世界を構築するとは、具体的には、お気に入りの趣味を持つこと、恋人を持つこと、セックスフレンドを持つことなどに対応します。敗北によるパンチを喰らった時に、構築していた自分の世界があなたを救ってくれます。つまり、敗北によるパンチを喰らった時に、趣味の世界や、恋人との世界や、セックスフレンドとの世界に逃げ込めば、とりあえずあなたは解放され、生き続けることができます。そうしたことの繰り返しで、あなたは逆転勝利が起こる瞬間まで何とか生き続けることができます。生き続けているうちに、買っていた宝くじが当たるという瞬間が訪れ、あなたは逆転勝利するかもしれません。

日本国財政破綻と福島原発事故

今、人々は福島原発事故の惨状を目撃している。福島原発事故が起こる前、原発事故が起こることを予想し、かつ今目撃している原発事故の惨状を予想した人は、極めて少数である。時間の経過とともに科学技術は進歩してきたのであって、原発安全性に関する科学技術を駆使した評価の信頼性も向上してきたはずである。しかし、原発事故が起こることを予想し、かつ今目撃している原発事故の惨状を予想した人の数が時間の経過とともに増えたということもない。そして、そのような予想した人が極めて少数である時に、突然福島原発事故が起こった。
福島原発事故が起こった瞬間に近づくにつれて、上記のような予想した人の数が急激に増えるのであれば、場合によると、福島原発事故は防げたかもしれない。
実際には、福島原発事故が起こる前、福島原発事故のようなものが起こることなど現実にはないと思っていた人が圧倒的多数である。
すなわち、福島原発事故に関しては、多数派の予想は誤りであり、少数派の予想こそが正しかったのである。そもそも多数派とは、お気楽であり、無責任なのである。
日本国財政破綻については、今はそれが起こる前の時期に相当する。大多数の人は、現実に日本国財政破綻が起こるとシーリアスには思っていない。そのうち日本国財政破綻が起こる、と思っている人は少数派である。実質的な日本政府を組織する財務省等の官僚機構が、数年内に消費税率を10%に引き上げようとしているのも、現実に日本国財政破綻が起こるとは考えていないからである。
発行した国債が売れなくなった瞬間に、日本国財政は破綻する。日本国財政破綻に関しても、多数派の予想は誤りであり、少数派の予想こそが正しい。繰り返して言おう。そもそも多数派とは、お気楽であり、無責任なのである。時間の経過とともに、そのうち日本国財政破綻が起こると予想する人の数が急激に増えるのであれば、場合によると、ハードクラッシュ的な日本国財政破綻を回避できるかもしれないが、そのような予想する人の数の急激な増加は起こらない。間違いなく、日本国財政は破綻する。

ほんち遊び

昭和30年代五月のある晴れた日、野球帽をかぶった少年が、茶の生垣に沿ってゆっくりと行ったり来たりしている。かれこれ1時間になる。
突然、少年が片方の手で野球帽を取り、その野球帽を逆向きにして生垣の上面からその中へ少し押し込んだ。そして少年は、他方の手で生垣の小枝を逆様の野球帽の上へと曲げて、その枝を揺すり、その枝から何かを野球帽の中へと落とした。少年は、野球帽を逆様のまま素早く手元に引き寄せ、そして上着のポケットからマッチ箱を取り出した。少年は、マッチ箱を半開きにして、野球帽の中の落ちてきたものの上に半開きのマッチ箱をかぶせた。少年は、ゆっくりとマッチ箱を半開きの状態から閉じていった。マッチ箱が全閉状態になった後、何度か少年は野球帽の中を覗き込んで、落ちてきたものが野球帽の中には無く、したがってそれがマッチ箱の中に収まったことを確認した。
少年は、上着のポケットから小さな透明なガラス板を取り出し、それをマッチ箱に沿わせた。そして少年は、ガラス板の下面に沿ってマッチ箱の中箱を徐々に引き出した。すなわち、引き出された中箱の上面をガラス板が覆っている。ある程度中箱が引き出されると、マッチ箱の中に収められた落ちてきたものが、ガラス板を通してその正体を現す。
蜘蛛だ。体長1センチほどの黒い色をした蜘蛛。「ほんち」と呼ばれている。少年は捕獲したターゲットをガラス板越しにあらためて確認すると、満足した表情を浮かべた。
ガラス板で蓋をしたマッチ箱の中箱に2匹のほんちを閉じ込めると、2匹が壮絶なバトルを始め、それを見ることができる。頭胸部から前方へと突き出た細長い触角状の左右の剣をいっぱいに広げて、近距離で正対しながら両者が睨み合う。等距離を保ちながら、睨み合った姿勢のまま、前後左右に両者が同時に動く。速く、時には遅く。音を立てずに。一方が剣を少し旋回させると、他方もそれに合わせて剣を旋回させる。完璧に同期した両者の動きが、緊張感と殺気を伝える。ほどなくすると、ガサッという音とともに瞬間的に両者がくっついて1つの塊になり、ゴロゴロと塊が転がる。良く見ると両者が咬み合っている。すぐに塊が2つに分かれ、2匹は再び睨み合う。一方が決定的なダメージを受けるまで、2匹はこうした戦いを繰り返す。
少年は1匹のほんちの捕獲に成功したが、2匹目は捕獲できなかった。少年は諦めて家路についた。家に帰る途中、少年は近所のお兄ちゃんに出会った。少年は今日のほんちの成果をお兄ちゃんに話した。するとお兄ちゃんは「ここで待ってろよ」と言って、駆け足でその場から立ち去った。しばらくすると、お兄ちゃんは一升瓶を持って戻ってきた。一升瓶の中には、茶や正木の枝が入れられており、それらにほんちが10匹くらいくっついている。少年は羨ましそうに一升瓶の中を覗き込んでいる。お兄ちゃんの顔は得意気である。
お兄ちゃんは少年に言った。「ほんちの中で一番つえーの知ってるか?」少年はちょっと首を横に振った。お兄ちゃんは言った。「てめーっ、そんなのも知らねーのか、ばらぼんだ。そん次につえーのが、ちゃぼんだ。一番よえーのが、まさぼんだ」。お兄ちゃんは続けた。「ばらぼんは、バラにいるほんち。ちゃぼんは、茶の木にいるほんち。まさぼんは、正木にいるほんちだ」。
少年はその話を聞いて以来、バラを探してあちこちへ出かけた。そして、バラを発見すると、1時間でも2時間でもそこにへばりついて、粘り強くほんちを探し求めた。少年は、ばらぼんの捕獲に全精力を注いだ。
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