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マスコミによる世論操作と巨人内紛劇

ある組織が世論を操作するためのツールとしてマスコミが存在する、ということが人々の間で知られるようになってきた。
その組織にとって人々にあまり知られたくない問題が発生した場合に、その組織がとる常套手段は、人々にとり話題性のある別な事件を演出することである。そうやって、人々の関心を知られたくない問題から演出された事件へとそらすのである。マスコミからの発信情報に演出された事件を大々的に載せ、知られたくない問題に関する人々への伝達情報量を減らすのである。
巨人内紛劇は、まさにその演出された事件の臭いがする。今回の場合、知られたくない問題とは、TPP問題であろう。TPP参加を推進している人達の顔を見ると、「説明責任」という言葉を好んで使ってきた連中である。しかし、今回彼らはTPPについて「説明責任」をまったく果たしていない。TPP参加反対派が問うているTPPの日本への悪影響について、彼らは答えていない、というか答えられないでいる。彼らに言う。ちゃんと大好きな「説明責任」を果たせ。
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自転車の時代

また駅前から自転車を撤去している。無駄なことをするもんだ。高い所から低い所へ向かって水が流れるように、都会では既に自転車の時代に突入している。だから撤去しても撤去しても、自転車が駅前に集まってくる。
都会で自動車を持つためには、初期費用、維持費、税金、駐車場代金、すべてを足して平均すれば、年間100万円はかかる。おまけに、行きたい先にまともな駐車場がなければ、自動車を使ってそこに行くこともできない。都会では自動車は不便であり、単なるでかい鉄の塊であり、おまけに大変な金食い虫だ。
人々の精神構造も変質した。一昔前は、自動車を持つことは社会的なステータスであり、持つなら世間が認める高級そうなブランドのものを、と人々は思っていたのであり、実際に我も我もと自動車を所有した。そんな見栄を張ることから人々は卒業した。
また、ここ10年ぐらいの間に、公務員を除き、人々はずいぶん貧乏になった。これから先は、もっと貧乏になる。自動車を持たなければ、年間100万円節約できるのだ。これはでかい。
行政は、駅前から自転車を撤去するという時の流れに逆らうことをしてはいけない。行政は、時の流れに合わせた行動を取らなければいけない。行政がすべきことは、自転車を交通手段の中心に据えた都市作りをすることだ。具体的には、駅前に巨大な無料駐輪場を確保することだ。マイカー・ヨアカーの駅前への乗り入れを禁止することだ。主な道路に自転車専用レーンを設けることだ。これで都会は、人々にとってもっともっと住みやすい環境になる。

勉強が出来ない人

勉強が出来きて学業成績が良い人ほど、創造性はない。逆に言うと、勉強が出来なくて学業成績が悪い人ほど、創造性がある。
勉強が出来ない人の脳は、普通の人の脳とは違っている。勉強が出来ない人の脳全体における論理回路は、その人独特であり、普通の人のそれとは質的に大きく異なっている。
勉強が出来ない人の脳と勉強が出来る人の脳に同じ試験入力を加えた場合、勉強が出来る人の脳は皆が期待する平均的な答えを短時間で出力するのに対し、勉強が出来ない人の脳はまったく予期せぬものを不定時に出力する。この予期せぬものが創造性の結果である。
低い土地ほど人々が豊かに暮らせると仮定しよう。そして、誰も登ったことがない高い山々に周りを完全に囲まれた盆地に人々が住んでいるとしよう。人々を仕切る長が勉強の出来る人である場合、その長は変化を求めることはせず、今後も引き続きその盆地に人々が住むよう、人々を指導する。長が勉強の出来ない人である場合、その長は創造性を働かせて、人々の中から強靭な若者を選び、何としても山の頂上まで登り、山の向こう側を覗いてくるようその若者に命令する。命令を実行し帰ってきた若者が人々に報告する。「山の向こう側にはここよりもっと低い土地がある」長は創造性を使って、人々が全員無事山の向こう側の低い土地に辿り着ける奇策を考え出す。長は人々全員を引き連れて、奇策にしたがって行動し、何とか山を越え、山の向こう側の低い土地に辿り着く。
国が抱える借金1000兆円問題は、勉強が出来る官僚には決して解決できない。可能性は殆ど無いがもしその問題が解決できるものであれば、その解決方法は勉強の出来ない創造性豊かな人によってのみ考え出される。

自転車と貧乏

大昔のイタリア映画の「自転車泥棒」を見ると、自転車が貧乏の象徴になっている。これまた一昔前の中国の映像は、人民服を着た人達が乗る夥しい数の自転車が群れを成し、幅の広い道路を同じ方向に走る光景を写していた。
経済が右肩下がりの日本。これからどんどん貧乏になってゆく。もう人々は車を持てなくなる。いよいよ自転車の出番だ。
まず、駅の周りには広大な無料駐輪場を用意しよう。駅前のロータリーと駅周辺へは、マイカー・ヨアカーの乗り入れ禁止。
交通手段の優先順位は、鉄道、路面電車、バス、タクシー、営業用自動車、そして自転車の順。マイカー・ヨアカーは、もはや交通手段としてカウントされない。それでも、マイカー・ヨアカーを所持したい人は、所有税として年間1億円を払うこと。
これって、以外といい世の中かも。自転車万歳。貧乏万歳。

マイカーによる送り迎え

とある大規模住宅団地は、最寄りの駅から徒歩15分ぐらいの所に位置する。その昔、朝の通勤時間帯になると、大勢の人達がその団地から最寄り駅へと1本の道に沿って歩いていた。その光景は、まるでその団地から最寄り駅まで続くアリの大行列のようであった。
いつの頃だろう、アリの大行列は姿を消し、その団地から最寄り駅へと歩く人達の数もぐーんと減ってしまった。その代わり登場したのが、妻がマイカーを運転して、夫を団地内の家から最寄り駅まで送ることである。あっちの家庭もこっちの家庭も、これをやり始めた。このため、朝の通勤時間帯、最寄り駅やその周辺は、妻達が運転するマイカーで、ひどく混雑するようになった。
徒歩15分と言えば、朝体をほぐし、脳をすっきりさせる運動としては丁度良い。徒歩15分のうちに、道端に何気なく咲く草花を見ることができるし、鳥の鳴き声を聞くこともできる。そんなとっても良いことを、妻はマイカーを運転して夫を最寄りに送ることで、夫から奪った。
人間、足を使わないと、下半身が簡単に老化する。弱った下半身では、転びやすくなる。転んで骨折したら、へたをすると、一生車椅子になってしまう。そんなこんなで、早く死んでしまう。
マイカーで夫を最寄りに送ることで、妻は夫を早く死なそうとしているのかと疑ってしまう。計算でこれをやっているとしたら、女は恐ろしい。
マイカーで夫を最寄りに送ることは、愛なんかじゃない。夫への愛があるのなら、マイカーで夫を最寄りに送ることは止めて、夫を最寄りまで歩かせるべきだ。そうすれば、夫の下半身は少しでも鍛えられ、また夫の脳もすっきりさせられる。加えて、道端に何気なく咲く草花を見る楽しみや、鳥の鳴き声を聞く楽しみを、夫に与えることもできる。
賢明な妻は、夫のためを思って、決して夫を甘やかさない。夫は夫で、妻にマイカーで送ってもらって、デレデレしてんじゃない。歩けるうちは自分の足でちゃんと歩け。
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