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「消費税は景気に中立」という命題

「消費税は景気に中立」という命題。
ある時、ある人に10万円の余裕が発生しました。その人には欲しいテレビがありました。消費税無しの場合、そのテレビの値段は10万円でしたので、その人は即そのテレビを買いました。消費税が50%の場合、消費税込みのそのテレビの値段は15万円でしたので、その人はそのテレビを買いませんでした。その後3年間、消費税込みのそのテレビの値段が10万円に下がることがなかったため、またその人にはそのテレビ以外に特別に欲しいものがなかったため、その人はその10万円をただ持ち続けました。そしてその3年間の直後に、その人はその10万円を持ったまま死んでしまいました。これが起こり得る確率は0ではありません。
数学では、命題の範囲内に1点でも矛盾があれば、その命題は偽になります。つまり、「消費税は景気に中立」という命題は、数学的には偽です。
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国の借金1000兆円は、公務員人件費の過払い分だ

数兆円におよぶ年金の過払いが話題になっている。しかし、遥かに巨額な国費の過払いがある。
日本における実質的な公務員人件費は、年間60兆円である。そもそも公務員の平均年収は、零細企業を含めた全企業の全社員および全自営業者の平均年収と同じでなければならない。人事院という手前勝手な組織が公務員年収を決めていいはずがない。
実際のところ公務員の平均年収は、零細企業を含めた全企業の全社員および全自営業者の平均年収の3倍である。したがって、正しい公務員人件費は、年間20兆円である。すなわち、年間40兆円も大切な国のお金から公務員人件費に過払いをしている。
過去20年間、この調子だったから、40兆円の20倍、つまり800兆円が国費として公務員人件費に過払いされたことになる。この800兆円は、国の借金1000兆円と額がおおよそ符号する。要するに、国の借金1000兆円は、公務員人件費の過払い分だ。

グローバリゼーションとウイン・ウインの関係

グローバリゼーションにより複数の国の間でウイン・ウインの関係ができるという話があるが、これはグローバリゼーションの負の面を無視した欠陥論だ。
2国間の関係で見てみよう。毎年A国は50億ドル分をB国に輸出し、40億ドル分をB国から輸入しているとする。この場合、B国から見ると、40億ドル分をA国に輸出し、50億ドル分をA国から輸入していることになる。
両国にとってベースの40億ドル分がウイン・ウインの関係に対応する。A国の黒字10億ドル、B国から見た赤字10億ドル、すなわち輸出入不均衡の10億ドルもグローバリゼーションにより生じたものである。両国の間ではこのような貿易不均衡は必ず存在してしまう。それは、生じる貿易不均衡が根本のところでは、遊ぶ時間も惜しんで働くA国の国民性と、働くべき時間も遊んでしまうB国の国民性との差といったような、国民性の差に起因するからだ。
両国の国民性は定常的なものであり、ほとんど変化しない。したがって、A国の黒字は10億ドルづつ毎年積み上がり、B国の赤字も10億ドルづつ毎年積み上がってゆく。そうするとB国はA国から物を輸入するための金が足りなくなるので、国債などの債券を発行して、これをA国に買ってもらって、金を調達するようになる。要するに、B国はA国に借金をするのである。両国の国民性は定常的なものであり、ほとんど変化しないので、両国間の貿易不均衡は変化なく存在し続け、したがってB国の債券発行総額、すなわちB国のA国に対する借金の総額が10億ドルづつ毎年積み上がってゆく。
両国での為替レートが変動して貿易不均衡を是正しようとするが、しかし為替レート変動による貿易不均衡是正の実効性はかなり限定的である。したがって、B国のA国に対する借金の総額は、毎年確実に積み上がってゆく。
B国の借金総額がある限界値に達すると、その借金をチャラにする方向での相転移、すなわちカタストロフィーが起こる。要するに、B国がデフォルトする。A国は貿易や債券の保有で儲けていたつもりが、B国がデフォルトした瞬間にA国の儲けは消えてしまうのである。
グローバリゼーションは上記相転移すなわちB国のデフォルトの素因を事実上内包しており、したがってグローバリゼーションが維持されていると、いつかは上記相転移すなわちB国のデフォルトが起こる。
上記相転移すなわちB国のデフォルトの発生直前の状況と同様の状況にあるのが、今のギリシャであり、イタリアであり、アメリカなのである。グローバリゼーションは、最終的には世界経済を破壊するのである。

グローバリゼーションの行き着く先

A国は魚が腐るほど取れる。B国は穀物が腐るほど取れる。A国とB国を含むグローバリゼーションの枠組みは、両国を豊かにする。A国は余った魚をB国に輸出し、B国は余った穀物をA国に輸出する。A国は余って捨てていた魚を富に換えることができる。B国も余って捨てていた穀物を富に換えることができる。また両国の国民は、魚と穀物の両方を食べられる。
他国に売る物が無いC国がグローバリゼーションの枠組みに入ると、どうなるだろう。C国は人を他国に売るようになる。すなわちC国の人々は、他国に出稼ぎに行くようになる。これはどこかで見た光景。そう日本でその昔よくあった、農村から都会への出稼ぎ。
さらに事態が進行すると、C国はどうなるだろう。C国から人々が出てゆき、C国の過疎化が進む。最後に、C国から人々がいなくなる。そう今日本で起きていること。棄村や廃村。
要するにグローバリゼーションは、他国に売る物が有る国にとっては美味しいのであるが、他国に売る物が無い国にとっては毒薬なのである。グローバリゼーションを地球規模で推し進めるのであれば、他国に売る物が無い国を救う制度を確立することが必須である。現状は、このような救済制度は用意されていないのに等しい。事実上、弱肉強食の世界となっている。
日本が地球規模でのグローバリゼーションの推進を旗印にするならば、日本は他国に売る物が無い国を救う現実的な制度を考案し、その確立を世界の国々に訴え、そして自腹を切りながら世界の国々と共にそれを実現していかなければならない。少なくとも、日本がグローバリゼーションで得た富を日本が自国のためだけに使ったり、すべてを溜め込んだりすることは許されない。この点では、グローバリゼーションは、他国に売る物が有る国にとっても厳しいのである。

グローバリゼーションとローカリゼーション(鎖国)

グローバリゼーションにより貧富の差が拡大し、国民が少数の金持ちと多数の貧乏人とに2極化する、という説がある。またローカリゼーション(鎖国)によりこのような2極化を防ぐことが出来る、という説もある。これらの説は、間違いではないが、本質的な点を見逃している。
仮に日本がグローバリゼーション体制からローカリゼーション(鎖国)体制に転換したとしても、貧富の差が拡大し、国民が少数の金持ちと多数の貧乏人とに2極化する傾向は存在し続ける。
グローバリゼーション体制であろうとローカリゼーション(鎖国)体制であろうと、時間の経過とともに、工業技術や農業技術は不可逆的に進歩してゆく。この技術的進歩は、生産性の向上をもたらすのであり、より少ない人員でより高品質のより安価な工業製品や農産物をより大量に造ることを可能にする。ローカリゼーション(鎖国)体制であっても、市場はより高品質のより安価な工業製品や農産物に支配される。したがって、市場を支配したより少数の生産者にのみ、富が集まる。すなわち日本がローカリゼーション(鎖国)体制を敷いたとしても、時間の経過とともに、貧富の差が拡大し、同時に金持ちの数的割合が減少し、貧乏人の数的割合が増加してゆくのである。
このような背景を考えると、政治の主たる役目は、いかに金持ちの富を貧乏人のために使って、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れるようにして、国家を安定させるかにある、ということが見えてくる。消費税は貧乏人も負担する。したがって消費税率アップは、金持ちの富を貧乏人のために使う、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れるようにするという趣旨に矛盾する。政治は、金持ちの富を貧乏人のために有効に使う構造、あるいは金持ちの富が貧乏人に万遍無く流れる構造となるように国のシステムを設計し直すことに、力を注ぐべきだ。
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