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ほんち遊び

昭和30年代五月のある晴れた日、野球帽をかぶった少年が、茶の生垣に沿ってゆっくりと行ったり来たりしている。かれこれ1時間になる。
突然、少年が片方の手で野球帽を取り、その野球帽を逆向きにして生垣の上面からその中へ少し押し込んだ。そして少年は、他方の手で生垣の小枝を逆様の野球帽の上へと曲げて、その枝を揺すり、その枝から何かを野球帽の中へと落とした。少年は、野球帽を逆様のまま素早く手元に引き寄せ、そして上着のポケットからマッチ箱を取り出した。少年は、マッチ箱を半開きにして、野球帽の中の落ちてきたものの上に半開きのマッチ箱をかぶせた。少年は、ゆっくりとマッチ箱を半開きの状態から閉じていった。マッチ箱が全閉状態になった後、何度か少年は野球帽の中を覗き込んで、落ちてきたものが野球帽の中には無く、したがってそれがマッチ箱の中に収まったことを確認した。
少年は、上着のポケットから小さな透明なガラス板を取り出し、それをマッチ箱に沿わせた。そして少年は、ガラス板の下面に沿ってマッチ箱の中箱を徐々に引き出した。すなわち、引き出された中箱の上面をガラス板が覆っている。ある程度中箱が引き出されると、マッチ箱の中に収められた落ちてきたものが、ガラス板を通してその正体を現す。
蜘蛛だ。体長1センチほどの黒い色をした蜘蛛。「ほんち」と呼ばれている。少年は捕獲したターゲットをガラス板越しにあらためて確認すると、満足した表情を浮かべた。
ガラス板で蓋をしたマッチ箱の中箱に2匹のほんちを閉じ込めると、2匹が壮絶なバトルを始め、それを見ることができる。頭胸部から前方へと突き出た細長い触角状の左右の剣をいっぱいに広げて、近距離で正対しながら両者が睨み合う。等距離を保ちながら、睨み合った姿勢のまま、前後左右に両者が同時に動く。速く、時には遅く。音を立てずに。一方が剣を少し旋回させると、他方もそれに合わせて剣を旋回させる。完璧に同期した両者の動きが、緊張感と殺気を伝える。ほどなくすると、ガサッという音とともに瞬間的に両者がくっついて1つの塊になり、ゴロゴロと塊が転がる。良く見ると両者が咬み合っている。すぐに塊が2つに分かれ、2匹は再び睨み合う。一方が決定的なダメージを受けるまで、2匹はこうした戦いを繰り返す。
少年は1匹のほんちの捕獲に成功したが、2匹目は捕獲できなかった。少年は諦めて家路についた。家に帰る途中、少年は近所のお兄ちゃんに出会った。少年は今日のほんちの成果をお兄ちゃんに話した。するとお兄ちゃんは「ここで待ってろよ」と言って、駆け足でその場から立ち去った。しばらくすると、お兄ちゃんは一升瓶を持って戻ってきた。一升瓶の中には、茶や正木の枝が入れられており、それらにほんちが10匹くらいくっついている。少年は羨ましそうに一升瓶の中を覗き込んでいる。お兄ちゃんの顔は得意気である。
お兄ちゃんは少年に言った。「ほんちの中で一番つえーの知ってるか?」少年はちょっと首を横に振った。お兄ちゃんは言った。「てめーっ、そんなのも知らねーのか、ばらぼんだ。そん次につえーのが、ちゃぼんだ。一番よえーのが、まさぼんだ」。お兄ちゃんは続けた。「ばらぼんは、バラにいるほんち。ちゃぼんは、茶の木にいるほんち。まさぼんは、正木にいるほんちだ」。
少年はその話を聞いて以来、バラを探してあちこちへ出かけた。そして、バラを発見すると、1時間でも2時間でもそこにへばりついて、粘り強くほんちを探し求めた。少年は、ばらぼんの捕獲に全精力を注いだ。
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くず鉄拾い

昭和30年代の横浜下町。路地は大勢の子供達に占拠されている。ベーゴマ、ゴロベース、缶蹴り、石蹴り、ゴム跳び、鬼ごっこ。ワーワー、キャーキャー、路地に子供達の歓声が響いている。広場に行くと、これまた大勢の少年達が、広場の四隅でそれぞれ野球をやっている。毎日毎日、学校が終わってから日が沈むまでの間、路地や広場は大勢の子供達と少年達で溢れかえり、同じような光景が繰り返されている。
広場で使われている野球のボールをみると、どれもイボイボが磨り減ってすっかりツルツルになっている。なかには、破れや裂け目ができてしまったものもある。
どぶ川に行くと、近所のおじさん達が10人位その中に入っていて、川底を漁っている。くず鉄を拾っている。おじさん達は、拾ったくず鉄を川に面した道路脇に置いたいくつかの木箱の中に次々入れてゆく。
おじさん達の作業が終了すると、しばらくしてくず屋さんがやってくる。くず屋さんは木箱の中のくず鉄を麻袋に詰め替え、そして麻袋の中のくず鉄の重さを竿秤で計っている。計量が終わって、おじさん達はくず屋さんから代金としてのお金をもらっている。
おじさん達はそのお金を持ってスポーツ用具店に行く。そして、そのお金で野球のボールを買っている。おじさん達は広場に行き、野球をしている少年達に買ったボールをプレゼントしている。

トンボ取り

昭和30年代の夏、少年は毎日毎日トンボ取りに励んだ。朝から暗くなるまで、毎日毎日。少年が使う道具は、網と虫かご。
網は四角網と呼ばれるもので、平面構造の長方形をしていて、畳のような感じである。また、網は縦長であり、その中心線に沿って竹棒がついている。竹棒は網から下方へと垂直に突き出ている。網は竹棒の上半分に支持されている。使用者は、網から下に突き出た竹棒の下半分を両手で握ることにより、網を操作する。使用者は、網をスイングしたり、振り回したりすることができる。
虫かごは竹ひご製で、直方体の形状である。虫かごの前面に入り口があり、そして入り口を開閉する上下に動く扉がついている。
少年は、毎日虫かご一杯にトンボを取った。翌日の朝になると、家に持ち帰った虫かごの中のトンボはほとんどが死んでいた。朝少年は、虫かごから死んだトンボや死にかけたトンボを出して、それらを家の庭に捨てて、虫かごを空にし、そしてトンボ取りに出発した。毎日毎日、この繰り返し。
水辺に行くと、岸や、岸の近くの水面上にシオ(しおからトンボ)やムギ(むぎわらトンボ:しおからトンボの雌)が沢山いる。地面や草にとまっているトンボは、網を上からかぶせて取る。地面や草の上を低空で飛んでいるトンボは、網の面をトンボの飛行コースに対して垂直にして、飛んでくるトンボに向けて網を振る。そして、網がトンボに当たった後、網の面が地面と並行になるような形で、網を地面に振り下ろす。この間、トンボが網から逃げ出せない速度で、網を動かさなければならない。そうすれば、トンボは網に張り付いたまま、網と一緒に移動する。最終的にトンボは、網と地面の間に挟まれてしまう。こうしてトンボを確保する。岸の近くの水面上を低空で飛んでいるトンボは、網の面をトンボの飛行コースに対して垂直になるように岸から網を突き出して、飛んでくるトンボに向けて網を振る。そして、網がトンボに当たった後、水面上から岸へと網を振り回しながら、網の面が地面と並行になるような形で、網を地面に振り下ろす。こうしてトンボを確保する。
少年の網の操作はとても上手。昼間、少年は水辺でシオやムギを沢山取る。多くのシオやムギは岸の地面や草にとまっていたり、岸や、岸の近くの水面上を低空で飛行しているので、少年は簡単にそれらを捕まえる。時々少年はシオやムギのトンツも取る。トンツとは、シオとムギが一箇所でつながり、2匹が縦になったもの、あるいはシオとムギが二箇所でつながり、2匹が輪になったものを意味する。
一通りシオやムギを取って虫かごに入れると、少年は休憩しながら、岸からかなり離れた水面上に目をやる。そこには、ギン(ギンヤンマ)が悠然と飛行している。少年の目がギンを追う。ギンの体から発せられる鋭く美しいブルーとグリーンの光線に少年は圧倒される。ギンは、少年の手が届かない水面上を、右に左に自由に飛び続ける。今日は絶対に勝つぞ、と少年は呟く。
日が傾くと、少年は水辺をあとにする。そして、少年は網の竹棒を肩で担ぎ、虫かごを首からぶら下げながら戦場へと向かう。そこは、草で覆われた開けた場所。戦場に着くと、少年は草の上に腰を下ろし、上空をじっと見つめる。しばらくすると、薄暗くなった上空遥か高くを大型のトンボが高速で一直線にかけ抜ける。数分後にもう一匹。飛行方向は、前のものと同じ。さらにもう一匹。数分間隔で、次から次へと大型のトンボが上空を横切ってゆく。飛行方向はすべて同じ。
少年はおもむろに腰を上げる。そして、足場のよい所へ移動して、そこで低い姿勢をとり、両手でしっかりと網を構える。少年は、トンボの飛行方向に正面を向けている。少年は正面をじっと見つめている。少年はひたすら待ち続ける。突然、低空で少年の方向に高速で飛んでくるターゲットが、少年の目に映る。少年の体を興奮と緊張感が突き抜ける。少年は、ターゲットの飛行コース上の位置へと、素早く横に移動する。そこで少年は、網の棒をギュット握り直し、そして網を構えながら、ターゲットとのタイミングを計る。少年の脳内に「行け」という声が響いた瞬間、少年はターゲット目掛けて網を振り抜く。ザッというターゲットと網との接触音が少年の耳に届く。少年は滑らかな動きで網を地面に降ろす。網と地面との間に挟まれたターゲットが、ガサガサガサという音を出しながら暴れている。少年はターゲットを手に取る。間違いなくギンだ。充実感が少年の体に湧き出る。溢れんばかりに湧き出る。少年は、なおも暴れるギンを虫かごに入れ、フーッと息を吐き、そして勝ったと呟く。
少年の一日のトンボ取りは、夕暮れ時のギンとの戦いというクライマックスで終わる。ギンとの戦いは負ける日がほとんどだが、たまにこうして勝つ日もある。少年はギンとの戦いにすべてをかけている。
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